2001年9月・トルコでの海底地震観測


2001年7-8月の海底地震観測から。船尾に翻るのはトルコ国旗

 北アナトリア断層という長さ1000kmもある大断層がトルコを東西に横断して走っている。次々に大地震を起こした断層だ。震源は60年かかって東から西へ移動し、1999年8月のトルコ大地震で西端に達した。この地震は公式発表で15,000人もの犠牲者が出たから、憶えている人も多かろう。実際には倍以上の犠牲者だと、こちらの人は信じている。

 この断層の先には、マルマラ海という細長い海がある。海底に続いているに違いない大断層の行方とありさまを調べるのが、私たちの研究なのである。

 実験は、私たちが日本から運んだ海底地震計37台をマルマラ海の海底に置き、一方パリ大学(フランス)が持ってきた約160台の陸上地震計をマルマラ海を取り囲んでいる陸地に置いて行われている。地元のトルコのイスタンブール工科大学などトルコの大学や研究機関も全面的に協力してくれていて、3国共同の大実験になった。

 北大・地震火山研究観測センターの村井芳夫、西村裕一、山田亜海(大学院生)、島村英紀が2001年7月にトルコ入りし、イスタンブールで海底地震計の準備をして、8月にマルマラの37箇所に海底地震計を設置した。

設置には、トルコの観測船『MTA シスミック』(600トン、全長は 57m=写真)を使った。なおこの船は1942年製で船齢59歳。私が乗ったもっとも古い船である。第二次大戦中、ドイツの軍艦として造られた船だ。このため鉄板はごく厚く、船が重く喫水も深いので、海が荒れても意外に揺れないという利点もあった。

 海底地震計と陸上の地震計の設置後、約1ヶ月かけて、フランスの観測船『ナディール』がエアガンを曳いて、マルマラ海の全域を走り回った。その後、火薬による人工地震も行われた。

 このあと、9月から10月にかけて、海底地震計と陸上地震計の回収を終えた。じつは1台の海底地震計が超音波で返事はしていたのだが、浮上しなかった。後日、トルコ海軍が潜水したところ、設置位置から125m離れた場所で転倒している海底地震計を発見、回収に成功した。漁船の網に引っかけられて移動・転倒したものと思われる。

 海底地震計の準備はトルコやフランスの研究者や大学院生に手伝ってもらって大わらわだった。私たちが滞在していたのはトルコ第一の都会イスタンブールから東へ60kmほど行ったマルマラ海沿いの町だった。宿舎には研究所の職員住宅を一軒借りて、私たちのほか、トルコ人とフランス人、男女合計で8人が暮らした。敷地内はウサギが跳ね、大きな野生の陸ガメがのんびり歩いている。

 当地の夏は異例の暑さだった。40年ぶりに40℃を超えたという。  しかし、冷房というものはない。家も仕事場も暑いが、海際のせいで、朝夕だけはほんの少しだけは涼しかった

(上の写真の説明:私たちの海底地震計を設置するために、この船では、「人力」ウィンチを作って取り付けてくれた)



(下の写真の説明:私たちの海底地震計はトルコの船の上で大きな関心を集めた。海底地震計の準備を大いなる興味を持って眺める11名のトルコ人船員たち)



島村英紀が撮った海底地震計の現場
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