2001-2002年・カリブ海の海底地震観測

1: 海底地震観測準備をした大学の屋上から。後方右側に見えるのはスフリエール火山。1976年にはかなりの噴火をしたことがある。

 2001年のトルコでの海底地震観測に引き続いて、カリブ海で、海洋プレートの潜り込みを解明するための海底地震観測を行った。じつは、もともと、この計画がはじめにあった。パリ大学(IPGP、地球物理学研究所)と共同研究をするつもりで数年来、準備してきていたが、その間にトルコ大地震(1999年、少なくとも3万人が亡くなった)が起きてしまったので、パリ大学と共同してトルコを先にやったものであった。

実験はフランスの海外県であるアンティル諸島のガダルーペ島を基地にして2001年11月から2002年2月まで行われた。

この付近では噴火も、また、地震の被害も多い。しかし、この付近のプレートの潜り込みの様相はまだ分かっておらず、世界の地球科学の研究の焦点になっている。


2: フランスの海底地震計(じつは米国の開発)の設置

実験は、私たちが日本から(実際にはトルコ経由で)運んだ海底地震計26台とフランス・ニースの海洋研究所が持ってきた海底地震計13台(下の写真)をカリブ海の海底に置き、一方パリ大学(フランス)が持ってきた約100台の陸上地震計をカリブ海の島々に置いて行われた。

この実験のために、フランス・トゥーロンからフランスの観測船『ナディール』に16日かかって大西洋を横断して来てもらって、海底地震計の設置と、それに引き続いて、設置した海底地震計や地震計を置いた島のまわりをエアガンを曳いて、人工地震を行った。なお、フランスの海底地震計とは、米国テキサス大学が開発した海底地震計をそのまま導入したものである。

 海底地震計の準備はフランスの研究者やガダルーペ島やマルチニーク島にあるフランスの火山観測所の人たちに手伝ってもらった。準備の基地にしたのは、現地の大学(「フランス領アンティル諸島と仏領ギアナの大学」)であった。この世のものとは思えないほどの景色に囲まれている(上の写真)大学である。 この大学は約20年前に作られた。学生数3000名、教員の数は120名。しかし、海外県に力を入れるフランスの「国策」大学だけに、設備は立派で、教職員の給料もフランス本土より高く、一方税金は安い。研究費も優遇されている。


3: 樽前山のような溶岩ドームを持つスフリエール火山-1

スフリエール火山の頂上は溶岩ドームになっている。頂上右側で噴気が見える。北海道の樽前山と同じように、シルクハット型の溶岩ドームがそびえ立っていて、噴火のときは火砕流が心配される。

写真は(パリ大学付属)同島スフリエール火山観測所の屋上から撮った。世界の多くの火山観測所と同じように、噴火がないかぎり、この火山観測所も、風光を楽しむのにもっとも適した場所である。

なお、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、日本に来る前の2年間をこのフランス領の島で過ごした。日本の雪国を訪れて気候の違いに驚いたことであろう。 また、画家のポール・ゴーギャンもここに滞在して活発な芸術活動をしていたことがある。芸術を刺激する島なのであろう。


4: 樽前山のような溶岩ドームを持つスフリエール火山-2

かつてスフリエール火山の頂上の溶岩ドームが噴火のときに崩れて火砕流を起こし、大きな被害を生んだことがある。

しかし、噴火から時間がたつと、人々は噴火を忘れ、火砕流の通り道に、また家を建て始めてしまう。この写真に写っている集落は、どこも、危険地帯なのである。

じつは、これはこの島だけのことではない。たとえば、北海道の樽前山では、かつて火砕流が何度も出たし、これからも出る危険性が指摘されているのに、その「通り道」には、近年大学が作られたり、町や集落も作られている。

スフリエール火山観測所の屋上から撮った。じつはこの観測所は「危ない」場所に建っていたので、近年、火砕流に襲われる可能性がない、反対側の、この高台に移ってきたのである。なお、2000年の有珠火山の噴火のあと、北海道大学の有珠火山観測所も、今までの場所を放棄して、遠い場所に移した。

 


5: 楽園カリブ海も季節によっては荒れる

 「楽園」カリブ海はいつも静かだというわけではない。写真は
ガダルーペ島の東部にある岬。

このくらい荒れていると、かなり大きな船を使っても、海底地震計の設置や回収は気を使う危険な作業になる。


6: 私たちの海底地震観測。海底地震計の配置図

私たちの海底地震計は黄色い△、黄色い▽、緑の□(この三種は内部のデータ記録方式が違う)、フランス側の海底地震計は赤○である。


中央左の蝶が羽を拡げた形をした島がガダルーペ島。フランスの海外県である。そのすぐ南はドミニカ共和国の島、さらにその南がマルチニーク島で、これもフランスの海外県だ。

この付近のプレートの潜り込みは、悲惨な巨大火山災害を生んだ。たとえば1902年にはこのマルチニーク島にあるモンプレー(火山)が噴火して火砕流が流れ下り、3万人もの死者を生んだ。地下牢にいた囚人だけが生き残った。

ガダルーペ島の北にある小さな二つの島は英国領である。うち、西側のモンセラート島は、火砕流が首都を襲って、人々はこの数年、島の端に避難したままである

このように、隣の島が別の国だったり別の領土だったりするので、領海が入り組んでいる。私たちの海底地震観測がドミニカ近くを避けなければならなかったのは、この領海問題のせいである。 地球は続いているのに、人間が国境を作る。私たち地球物理学者が、しばしば苦労する問題である。

また、航空路も複雑だ。フランス領の二つの島には、パリからジャンボ機の直行便が毎日飛んでいる。一方、英国領の島にはロンドンからしか直行便がない。そして、これら島々を結ぶ航空路は、ごく小さなローカル飛行機が、運航しているだけなのである。

海の深さは青の濃さで表している。6000mを超えるほど深い。私は以前にカリブ海のプエルトリコ海溝にフランスの深海潜水艇で潜ったことがある。その深海潜水艇の母船が『ナディール』だったが、偶然にも、この海底地震計の観測も、同じ『ナディール』がフランスから来てくれて、とても懐かしかった。

そのときに島村英紀が書いた潜水の記事その1は

記事その2は

そのほか、この『ナディール』は、2001年に行ったトルコでの海底地震観測にも来てくれた。私たちが海底地震計を設置したあと、地下構造研究のためにエアガンで人工地震を行ってくれたのである。

【2020年4月に追記】もちろん、フランス海外県である地元政府は地震や火山についての注意を、地震や火山をまったく知らないで訪れるフランス人になんとか分からせようとしている。添付したのはその地震編・パンフレットの表紙。

島村英紀が撮った海底地震計の現場
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