島村英紀『夕刊フジ』 2015年1月30日(金曜)。5面。コラムその87「警戒せよ! 生死を分ける地震の基礎知識」

南海トラフ地震の「先駆け」となった西日本の直下型地震

 1月3日、日本海岸に近い兵庫県豊岡市・城崎(きのさき)温泉で大規模な火事があった。19棟、延べ約2700平方メートルが焼けた。

 私たち地震学者が城崎温泉の火事と聞いて思い出すものがある。

 それは北但馬地震(1925年)と北丹後地震(1927年)のことだ。この二つはマグニチュード(M)がそれぞれ6.8と7.3。直下型地震としては阪神淡路大震災(M7.3)なみの大きな地震だった。

 これらの地震で城崎温泉をはじめ、兵庫県北部や東隣の京都府北西部など丹後半島の付け根部分では大きな被害が出た。

 北但馬地震での死者は430名、家屋の全半壊は4000棟におよんだ。震源地付近では83戸あった住宅のうち82戸が倒壊したほどの強い揺れだった。

 北但馬地震が起きたのは5月の午前11時すぎ。昼食の準備の時間だった。このため大火が起きて豊岡では焼失家屋は2300棟を超え、町の半分が焼失した。城崎だけで人口の8%、271名という多数の死者を生んでしまった。犠牲者の大半は炊事中に倒壊した家にはさまれたまま火災で焼死した女性だった。

 城崎町では、2年後の北丹後地震でも3月の夕食時だったこともあって火災で2300棟以上が焼失した。この地震での各地での合計は死者2900余、揺れによる全半壊22000棟にものぼった。

 城崎は地震による大火にたびたび痛めつけられたところなのである。

 じつは北但馬地震と北丹後地震はたんなる直下型地震ではなかった。これらの地震は海溝型地震である南海地震(1946年。M8.0)と東南海地震(1944年。M7.9)の「先駆け」になった地震ではないかと考えられている。

 北但馬地震と北丹後地震だけではない。死者1100名を生んでしまった鳥取地震(1943年。M7.2)もある。この地震で鳥取市の中心部は壊滅。古い町並みはすべて失われた。市内の住宅の全壊率は80%を超えた。

 南海地震と東南海地震は、恐れられている「南海トラフ地震」の先代だ。これらの地震に限らず、いままで起きてきた南海トラフ地震の先祖たちの数十年前から西日本で直下型地震が頻発したことが知られているのだ。

 ところで2013年4月に兵庫県淡路島付近でM6.3の地震が起きた。最大震度は6弱。住家の一部損壊が2000棟以上にのぼったのをはじめ、液状化による施設被害、水道管破損による断水などの被害が出た。

 もし恐れられている南海トラフ地震が起きたら、この淡路島の地震も「先駆け」だったといわれるに違いない。

 それだけではない。もしかしたら阪神淡路大震災(1995年)や鳥取県西部地震(2000年。M7.3)も南海トラフ地震の「先駆け」のひとつかもしれないのである。

 ところで北丹後地震が起きたとき、大阪梅田の駅前にある阪急百貨店では客の食い逃げが莫大な額に達した。このため地震後に後払いをやめ、日本で初めての前金制の食券を取り入れた。これなら取りっぱぐれはない。さすが大阪である。

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