島村英紀『夕刊フジ』 2014年5月23日(金曜)。5面。コラムその52 「警戒せよ! 生死を分ける地震の基礎知識」

98年焼岳地震の移動、連鎖反応の可能性
『夕刊フジ』公式ホームページでの副題は「地震は地震計が嫌い? 地震学者が地震に逃げられた…」

 地震学者が地震に逃げられてしまったことがある。

 先週は北アルプス焼岳の地下で続いていた群発地震の話をした。

 このへんでは過去たびたび群発地震が起きた。1回前の1998年には、いまだにナゾがとけない不思議なことがあった。

 群発地震はその年の8月7日、長野県の上高地で始まった。観光シーズンの盛りの時期だった。

 上高地で始まった群発地震は西にある活火山・焼岳にしだいに近づいているように見えた。噴火の前兆かもしれない。地元に緊張が走った。

 険しい北アルプスの山岳地帯ゆえ地震観測所は離れたところにしかなかった。このため急遽、大学や気象庁の研究者が現地に向かい、上高地や焼岳で臨時に地震計を置きはじめた。

 彼らの到着が遅かったわけではない。群発地震が始まって6日目には、地震計の設置を始めていたのだ。

 だが地震計を置き終わる前に群発地震の震源は上高地を離れて北にある穂高連峰や槍が岳の地下へ移動してしまった。10キロあまりを数日の間に動いたことになる。(写真は長野県蓼科から見た穂高連峰。島村英紀撮影)。

 そのうえ8月16日、その活動域のいちばん北で、この群発地震で最大の地震が起きた。臨時に置いた地震計からはもっとも遠い場所だった。マグニチュード(M)は5.4。ことし5月の群発地震での最大のMは4.5だったから、エネルギーが20倍近以上も大きな地震だった。

 それだけではなかった。鬼ごっこでもするように、9月に入ると震源は北アルプス沿いにさらに北上。県境を越えて富山県に入った。上高地からは20キロ以上も北上したのである。

 そして、同年秋になると群発地震は県境付近で消えてしまった。まるで、臨時に置いた地震計を地震が嫌って逃げたように見える。地震学者は、いまだに何が起きたか分からない。

 ところで、この地震群が移動した速さは、1日当たり1〜数キロだった。

 以前にこの連載で「移動性地殻変動」の話をした。年に20キロほどの速さで動いていった地殻変動だ。北アルプスの地下を移動していった地震群の速さも、この速さとそれほどは違わない。

 これはとても不思議な速さだ。

 地球の内部でなにかが岩をかきわけながら動いていくにしてはあまりに速すぎるし、一方、秒速数キロで走る地震断層と比べると、けた違いに遅すぎる。

 これは、地震が起きることによって「留め金」が外れて、次の地震が起きやすくなるという連鎖反応の結果かもしれない。動いていく速さは留め金が外れた次の地震がいつまで「我慢」できるかで決まる。

 さる5月5日に相模湾の地下の太平洋プレートの深さ160キロのところでM6.2 の地震が起きた。東京・千代田区で震度5弱を記録した。

 そして8日後に同じプレートの千葉県の東京湾岸の地下80キロのところでM4.9、震度4の地震が起きた。前の地震がこの地震の留め金を外したかもしれないのである。

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