島村英紀『夕刊フジ』 2014年4月18日(金曜)。5面。コラムその47 「警戒せよ! 生死を分ける地震の基礎知識」

気象庁の机で寝ていた津波の電報

 さる4月1日(現地時間)、南米チリの北部イキケ市の沖合100キロでマグニチュード(M)8.2の地震が起きた。
 
 翌日、日本でも津波注意報が出されて、北海道から八丈島にかけて10-60センチの津波が観測された。チリ沖で生まれた津波が、太平洋を横断してきたのだ。
 
 ハワイでも津波注意報が出た。津波が日本に来る前にハワイも通る。ハワイで警報を出したのは「太平洋津波警報センター」。米国の国立海洋大気圏局の傘下の組織だ。
 
 このセンターができたのは1949年。その3年前の1946年にアリューシャン列島のM8.1の地震から来た津波で4000キロ離れたハワイが大被害を受けたのを契機に作られた。

 この地震で震源に近いウニマク島で灯台が壊れて5人が流されたが、それ以外の地元の被害は限られていた。だがハワイの被害がずっと大きく、ハワイ島ヒロでは159人もが津波の犠牲になってしまった。誰も予想していなかった不意打ちだった。偶然の一致だがこの地震も4月1日に起きた。

 その後、1960年にチリ地震(M9.5)が起きた。現在までの世界最大の地震だ。

 この地震からの津波はやはり太平洋を越えた。地震から15時間後にハワイを襲った津波はヒロで高さ10メートルにも達して、ハワイで61人の犠牲者が出た。

 先々週のチリ沖の地震と同じように、この津波は地震後23時間で日本まで到達した。

 日本でも三陸海岸沿岸を中心に最大6メートルの津波が襲来し、142人の犠牲者を生んでしまった。建物の被害は46000軒、船舶の被害も2400隻に及んだ。

 じつは、このときにハワイの太平洋津波警報センターから日本の気象庁に津波の電報が届いていた。しかし、その電報は気象庁の係官の机の上で寝ていたのだ。

 大失態には違いない。だが津波が太平洋を越えて反対側を襲うことを当時は気象庁は知らなかったのだ。

 津波は逆方向でも太平洋を越える。東日本大震災のときには津波が日本からハワイを通って北米や南米の海岸に達した。

 地震の7時間後、津波がハワイに到達し、高さ2-3メートルに達して海岸のホテルのロビーが浸水した。米国の西海岸でもカリフォルニア州で死者1、港湾や船舶も被害を受けた。

 私の知人がそのときにたまたまハワイに観光に行っていた。海岸沿いの土産店にいたのだが、海岸通に次々に大型バスが来て、観光客をピストン輸送で高台に運んだのだという。その手際の良さは、津波の洗礼を何度も受けてきたハワイならではだった。

 津波は地震よりも後から襲って来る。地震は不意打ちになる可能性が高いが、津波による人命の被害だけは避けることができるはずのものなのだ。

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