島村英紀『夕刊フジ』 2020年6月5日(金曜)。4面。コラムその351「警戒せよ! 生死を分ける地震の基礎知識」 

上高地の群発地震 震源が次々と移動
『夕刊フジ』公式ホームページの題は「震源地が次々移動の群発地震! 上高地周辺で200回以上発生」

 新型コロナウィルスの影響で人がほとんどいない北アルプスや上高地(かみこうち)で、群発地震が起きている。

 5月29日にはマグニチュード(M)5.2の地震が起きて岐阜県・高山で震度4を記録した。5月19日のM5.3に次ぐ大きさだ。

 地震の回数が増えてきたのは2018年の末からだが、4月下旬から増加が著しい。たとえば4月23日にはM5.5を筆頭に多くの地震が発生した。いままでの有感地震は200回を超えた。地震計のないところで感じた地震は数百回にものぼっていて、震源に近ければ震度4よりは大きい。

 今回の群発地震は焼岳のすぐ下だ。焼岳は活火山で、南北に連なる北アルプスのひとつである。

 気象庁は北緯、東経とも0.1度刻みで発表しているから、長野・岐阜県境のこの地震は「長野県中部」だったり、「岐阜県飛騨(ひだ)地方」だったりして、まるで別のところで地震が起きているように聞こえる。だが、これは震源決定の誤差で、県境を簡単に超えてしまうだけなのだ。

 気象庁の震源発表は火山を無視している。火山は別の課が担当するせいだろうか。2011年3月の「静岡県東部」の地震は明らかに富士山直下で、マグマ溜まりにヒビが入った。

 いまのところ焼岳に火山性の異変はないが、1915(大正4)年の噴火では大量の泥流が川をせき止めてしまった。水中に立ち枯れた木が景観を作って観光客に人気の大正池は、こうしてできた。

 焼岳の現在までの最後の噴火は1962年だった。噴火には至らなくても、地下にあるマグマ関連の事件が起きたことがある。近くのトンネル工事で1995年に水蒸気爆発があって4名がなくなった。いまでも焼岳の山頂付近には有毒ガスが出続けている。地下のマグマはまだ生きているのだ。

 近年は群発地震が起きても噴火には結びつかないことも多かった。最近の群発地震は2014年、その前は1998年だった。

 1998年の大規模な群発地震には、いまだにナゾがとけない不思議なことがあった。

 群発地震は1998年8月、上高地で始まった。

 険しい北アルプスの山岳地帯ゆえ地震観測所は離れたところにしかなかった。このため急遽、大学や気象庁の研究者が現地に向かい、上高地や焼岳で臨時に地震計を置きはじめた。

 だが地震計を置き終わる前に群発地震の震源は上高地を離れて北の穂高(ほだか)連峰や槍が岳の地下へ移動してしまった。10キロあまりを数日の間に動いたのだ。

 そのうえ8月半ばになると活動域のいちばん北で、群発地震で最大の地震M5.4が起きた。臨時に置いた地震計からはもっとも遠い場所だった。

 それだけではなかった。9月に入ると震源は北アルプス沿いにさらに北へ、鬼ごっこでもするように県境を越えて富山県に入った。上高地からは20キロ以上も北上したことになる。

 そして、同年秋になると群発地震は長野・富山の県境付近で消えてしまった。まるで、臨時に置いた地震計を地震が嫌って逃げたように見える。

 群発地震には分からないことがまだ多い。

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