島村英紀『夕刊フジ』 2013年11月15日(金曜)。5面。コラムその27:「警戒せよ! 生死を分ける地震の基礎知識」

「極秘核実験」探知した日本の地震計

 イスラエルが極秘で行った核実験を日本の地震計が検知したことがある。

 イスラエルが核兵器を持っているのは公然の秘密になっている。だがイスラエルは決して認めていないし、同国のうしろ楯になっている米国も認めていない。

 ところで核兵器は作っていく段階で、臨界の確認や性能維持のために核実験を行うことが不可欠のものだ。このため広島や長崎に米国が落とした原爆は、その前に米国ニューメキシコ州の砂漠で核実験を行っていた。中国も中国奥地の新疆ウイグル自治区・ロプノールで核実験を行った。

 もっと狭い国の英国はオーストラリアで、またフランスも本国ではなく当時仏領だったアルジェリアの砂漠や南太平洋の仏領ポリネシアで核実験を行った。

 イスラエルは英国よりさらに狭い。このため国内で核実験をすることは不可能だ。このため南アフリカ(南ア)と共同して、南アと南極の間にある海中で1979年に極秘の核実験をやったのでは、という疑惑が伝えられていた。

 この近くには南ア領のプリンス・エドワード諸島がある。南アから1800キロ南で、南極とのほぼ中間点だ。定住者はいない。このへんの海は「吠える南緯50度」といわれる南極海が荒れる名所で、航行する船はほとんどいない。

 ところが、この実験地点の南極側にある日本の昭和基地の地震計は、この極秘の核実験を記録していたのだ。じつはこのことが発表されたのは今年になってからである。

 ここには日本国内にもある高感度の地震計が1959年に設置され、それまでも世界各地の地震を記録していた。

 この地震計が1979年9月22日に3回の海中核爆発を記録した。南アの現地時間で17時少し前から17時15分にかけてだった。爆発の規模はマグニチュード(M)3.7から3.1の地震相当、TNT火薬では約3000トン相当のものだった。

 昭和基地から現場までの距離は約2000キロ。このくらいの大きさの地震だったら、十分に記録できる距離である。たとえば米国ネバダ州で1980年7月や翌年6月に行われた核実験も、1981年9月と12月に旧ソ連南部のカザフスタンで行われた核実験も同じ地震計が記録していた。

 地震計には普通の地震とは違う核実験特有の波形が記録された。記録の特徴から、地下核実験か、大気中の核実験か、それとも海中核実験だったのかもわかる。ネバダとカザフスタンは地下核実験だった。1979年の爆発は異様に長い振動が継続したので、明らかに海中爆発の特徴を示していた。

 地震計にとって2000キロは遠くはない。昭和基地からネバダまでは16000キロ以上、カザフスタンまでは14000キロ近くもある。世界中、どこで隠れて核実験をやっても、地震計にだけは検知出来るのである。

(図は国立極地研究所・渋谷和雄氏からのものに島村英紀が加筆。南極の昭和基地で捉えた約16000キロメートル(145.5 degree)離れた米国ネバダでの地下核実験。縦軸の振幅のtick markは1 Volt。増幅器のゲインが約10000倍、センサー感度は 1 volt/kineなので、tick mark間が約100 microkineの振幅に対応している)

この記事
このシリーズの一覧

島村英紀・科学論文以外の発表著作リストに戻る
島村英紀が書いた「地球と生き物の不思議な関係」へ
島村英紀が書いた「日本と日本以外」
島村英紀が書いた「もののあわれ」
本文目次に戻る
テーマ別エッセイ索引へ
「硬・軟」別エッセイ索引へ



inserted by FC2 system