島村英紀『夕刊フジ』 2018年8月31日(金曜)。4面。コラムその263「警戒せよ! 生死を分ける地震の基礎知識」 

9世紀に起きていた関東地震の先祖
「夕刊フジ」公式ホームページの題は「とんでもないところに首都を置いてしまった日本 数百年の周期で襲ってくる「海溝型地震」」

 「防災の日」は9月1日だ。阪神淡路大震災(1995年)のあとも、東日本大震災(2011年)のあとも、防災の日として不変だった。その理由は、この地震の犠牲者が10万人を超えて、日本史上、最大だったためだ。

 この地震とは、関東地震(1923年)で、首都圏を襲った。地震のあとに火が燃え広がって、犠牲者の多くは焼死だった。

 この地震のマグニチュード(M)は7.9。フィリピン海プレートが首都圏の下に潜り込むことによって起きた海溝型地震だ。海溝型地震のエネルギーは直下型地震をはるかにしのぐ。

 首都圏は日本でも特異なところだ。日本のどこでも起きる可能性がある直下型地震も何回も起きている。たとえば1855年の安政江戸地震は日本の直下型地震として阪神淡路大震災以上の被害を生んだ。

 そのほかに、首都圏は足元で海溝型地震が起きる。直下型地震と違って海溝型地震は繰り返す。厳密な周期があるわけではないし、一回ごとに規模や震源は少しずつ違うのだが、平均で数百年ごとに繰り返してきた。

 1923年の関東地震の「ひとつ先代」はいまの暦で1703年の大晦日に起きた元禄関東地震だ。

 もうひとつ前の「先代」は13世紀の鎌倉時代に起きた永仁地震(1293年)だった。

 それより前の海溝型地震は、ちゃんとは知られていなかった。京都や奈良のように多くの知識人が住んで、日記など多くの文書を残していたわけではない関東では、過去の地震についての文書がはるかに少ない。

 この限られた文書から、大地震が起きたことそのものは分かっても、内陸直下型地震か海溝型地震を見分けるのは、なかなか大変な作業なのだ。各地の被害の状況や広がりから、震源の位置や深さと地震のタイプを推測しなければならないからである。

 ナゾだったこの「先代」の関東地震が、平安時代の9世紀に起きていた証拠となる地層を、神奈川県温泉地学研究所などのチームが県内で確認した。この初夏のことだ。かつて海沿いの干潟だった低地を掘って地層を調べた。

 干潟は波で削られてなくなるため、普通は地層に痕跡が残らない。しかし今回見つけた干潟は、巨大地震で一帯の地盤が隆起したため波で削られなくなり、そのまま残ったものらしい。

 これらの地層の年代測定をした結果、干潟で見つかった地震の地層は「17世紀以降」「13世紀」「8〜9世紀」の三つと分かった。

 ところで、平安時代の878年には「元慶地震」が起きていたことが文献に残っている。しかし、海溝型地震か直下型地震かは分からなかった。

 だが、今回の研究で干潟の地層から、この地震が「先代」の海溝型地震であった可能性が強いことが分かった。

 ようやく、平安時代まで、四つの海溝型地震が分かったことになる。ひとつ遡るのも学問的には大変なのだ。

 繰り返す海溝型地震。「次」が襲って来るのは確実なことだ。よりによって、とんでもないところに首都を置いてしまったのが日本なのである。

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