島村英紀『夕刊フジ』 2018年6月1日(金曜)。4面。コラムその250「警戒せよ! 生死を分ける地震の基礎知識」 

発生から35年・・日本海中部地震の教訓
『夕刊フジ』公式ホームページの題は「発生から35年…日本海中部地震の教訓 「忘れたころ」に襲って来る災害」

 秋田県内では「日本海岸には大津波は来ない」と広く信じられていた。「地震があったら浜に逃げよ」という言い伝えさえあった。

 これは、山が崩れるから浜に逃げろという意味で、たしかに、日本全土の内陸で山崩れや地滑りの地震被害も大きかった。たとえば10年前に起きたマグニチュード(M)7.2の岩手・宮城内陸地震では大規模な地滑りが起きて大きな被害を生んだ。

 ちょうど35年前、1983年5月26日にM7.7の日本海中部地震が起きたときにも「浜から」ではなく「浜へ」逃げた人が確認されている。そして、100人以上の犠牲者を生んでしまった。ほとんどは津波による犠牲者である。地震が起きたのは真っ昼間。11時59分だった。痛々しいのは、海岸で津波に呑まれた多くの小学生たちがいたことだ。

 震源は秋田県能代市の沖合だった。この地震は日本海の東縁にあるユーラシアプレートと北米プレートの境界で起きる海溝型の地震で、太平洋岸沖に起きる海溝型地震よりは頻度が少ない。

 しかし、日本海中部地震の10年後の1993年に北海道南西沖地震(M7.8)が起きた。これも同じタイプの地震だ。死者行方不明者230人という大被害を生んでしまった。

 海洋写真家中村征夫さんは、この地震で命拾いをした。ご本人から聞いた話だ。

 日本海中部地震は昼間だったが、北海道南西沖地震は夜10時すぎだった。泊まっていた北海道・奥尻島の宿屋のおかみが、日本海中部地震のことを思い出して、津波が来るからすぐに裏山に逃げろ、と言ってくれたのだという。日本海中部地震の経験が多くの命を救ったのだ。

 北海道南西沖地震では気象庁が出した津波警報は、震源に近い奥尻島では間に合わなかった。

 日本海中部地震のときも間に合わなかった。気象庁が午後0時14分に津波警報を発令したときには、津波はすでに押し寄せていたのだ。

 なお、気象庁ではこの北海道南西沖地震のあと、津波情報を早く出すように改良した。いまは、遅くても地震後3〜5分で津波情報が出るようになっている。

 しかし、津波が地震後すぐに押しよせてくるところでは、たとえ津波情報が間に合っても避難が間に合わないことも多い。恐れられている南海トラフ地震でも、震源と海岸が近いところでは、避難する時間がないこともあり得る。

 秋田県など日本海岸北部では、1833年に山形県沖で起きた庄内沖地震(推定値M7.5)以来、津波被害を伴う地震がなかった。これも同じ種類の海溝型地震で大きな津波が沿岸を襲った。

 150年間はあまりに長く、人々が忘れ去ってしまうには十分の長さだったのかもしれない。10年なら、同じ人間が憶えていた。

 近年行われた内陸部に上がった津波堆積物の調査では、過去約10回もの大津波が襲ってきたことが分かった。だが、歴史記録にはなく、日本海中部地震当時は知られていなかった。

 災害は、確かに「忘れたころ」に襲って来るものなのだろう。


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