島村英紀『夕刊フジ』 2018年3月16日(金曜)。4面。コラムその240「警戒せよ! 生死を分ける地震の基礎知識」 

風化しつつある東日本大震災の記憶
『夕刊フジ』公式ホームページの題は「風化しつつある東日本大震災の記憶 いずれ起きるかもしれない”アウターライズ地震”」

 東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)から7年。震災の記憶は風化しかかっている。

 このくらい大きな地震だと、地震学的には、けして7年で終わったわけではない。これからも、この7年間にはなかった大きさの余震が襲って来るかもしれない。

 東北大の調査がある。2016年11月に起きた、それまででは大きい余震(マグニチュード7.4)で津波注意報と警報が出たときに、宮城・石巻市では全体の6割近くが避難しなかった。全校児童の約7割にあたる74人もが犠牲になった大川小学校も石巻市立だし、市内では津波で3600人がなくなっている。

 逃げなかった人々にはそれなりの言い分があった。石巻市での震度は4で、震災の時の震度6強に比べてずっと弱かった。「地震慣れ」していた人々は大した津波は来ないと思ったに違いない。地震が朝6時前という早朝だったこともある。過半数は就寝中だった。

 実際には石巻港で80センチの津波しか来なかった。現在の津波予報では、襲って来る津波の高さを正確に見積もることは出来ない。多くの場合は過大に予報して「オオカミ少年」になることを繰り返してきていることも、人々が逃げなかった一因だろう。

 だが、「アウターライズ地震」が、いずれ起きるかもしれない。アウターライズ地震は1933年の昭和三陸地震のように、陸上での震度は小さくても大きな津波が襲って来る。震度が東日本大震災のときよりも小さいからといって、津波が小さいわけではないのだ。

 昭和三陸地震は3000人以上の犠牲者を生んだ。1896年に起きて20000人以上の犠牲者を生んだ明治三陸地震と「組」になっていて、約40年後に引き起こしたアウターライズ地震ではなかったかと思われている。

 石巻では、それでも津波予報で逃げた人もいた。だが、被災地以外では、もっと風化が進んでいる。

 東京の地下鉄の車内広告で近頃目立つのは20階以上の新築タワーマンションだ。都心にある便利さと展望を謳う。

 だが、いったん大地震に遭うと、この種の超高層ビルは恐ろしいことになる可能性が高い。

 エレベーターが止まってしまうと内部の数千人は、せいぜい2本しかない狭い非常階段を使うしかない。水が止まれば、トイレが流せなくなり、炊事も出来ない。食糧を外部から運びこむにも、階段だと、たった1日分を全員に配るのに2日かかるという試算がある。

 内部には住めなくなって避難所に移るにしても、近くの避難所の収容能力は、多ければ5000人を超えるタワーマンションの住民数よりは少ないことが多い。

 タワーマンションは急速に増えている。首都圏で約200棟あるほか、完成予定が160棟余。8割近くが東京とその近辺に集中している。

 水道も電気も止まらなかったものの、はるか東北沖で起きた東北地方太平洋沖地震のときでさえ、高層階ほど、壊れてしまった瀬戸物などのゴミが多かった。

 過去の地震の教訓は被災地に限らず、日本中で生かされていないのだ。

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