島村英紀『夕刊フジ』 2017年9月8日(金曜)。4面。コラムその214「警戒せよ! 生死を分ける地震の基礎知識」 

南海トラフ地震の「先駆け」
『夕刊フジ』公式ホームページの題は「南海トラフ地震の「先駆け」かも 阪神淡路大震災や鳥取県西部地震」

 いまから74年前、1943(昭和18)年9月10日に鳥取地震が起きた。

 マグニチュード(M)は7.3。直下型としては最大級の地震だった。6400人以上の犠牲者を出した阪神淡路大震災(1995年)と同じ大きさだ。

 この大地震を経験した老婦人と会って話を聞いたことがある。鳥取市の中心部は壊滅し、古い町並みはすべて失われてしまった。市内の住宅の全壊率は80%を超え、犠牲者は1083人にのぼった。

 だが、唯一の救いもあった。当時は市民の防災訓練が徹底されていたので大火にはならなかったのだ。1945年に終わった第二次世界大戦の終末期で、日本各地で米軍の空襲に備えてバケツリレーなどの訓練が行われていたのである。

 じつは鳥取地震では市内16ヶ所から出火していた。地震が起きたのが夕方18時前で夕食の準備中という最悪の時間帯だった。水道管も破裂していた。

 しかし、鳥取はその9年後、戦後日本最大の大火に見舞われてしまった。1952年4月に起きた鳥取大火だ。この大火で焼失面積45万平方メートル、鳥取市の人口の3割以上である2万人が被災した。

 この火事がこれほどの大火になってしまった原因はフェーン現象だった。低気圧が日本海北部にあり、そのため毎秒15メートルもの乾いた強い南風が日本海に面した鳥取に吹いていた。鳥取は大地震と大火で、踏んだり蹴ったりだったのである。

 昨年12月に起きた新潟・糸魚川市の大火も、鳥取大火と瓜二つの気圧配置だった。やはりフェーン現象で吹いた南風が強くて火が燃え広がってしまった。だが、鳥取大火では、糸魚川大火の11倍もの面積に焼け拡がってしまったのだ。

 ところで、鳥取地震はたんに鳥取だけの地震ではなかった。

 北但馬地震(1925年、M6.8)と北丹後地震(1927年、M7.3)と鳥取地震は、南海地震(1946年、M8.0)と東南海地震(1944年。M7.9)の「先駆け」になった直下型地震ではないかと考えられているのだ。

 南海地震と東南海地震は、恐れられている「南海トラフ地震」の先祖だ。同じメカニズムで起きる先祖は10回以上が知られている。

 これら先祖たちの数十年前から西日本で直下型地震がいくつも起きたことが知られている。

 2013年4月に兵庫県淡路島付近でM6.3の直下型地震が起きた。最大震度は6弱。住家の一部損壊が2000棟以上にのぼったのをはじめ、水道管の破損や液状化による施設被害が各所で起きた。2015年2月にも徳島で最大震度5強の直下型地震が起きた。

 もし恐れられている南海トラフ地震が起きたら、これら淡路島や徳島の地震は「先駆け」だったといわれるに違いない。

 それだけではない。もしかしたら阪神淡路大震災や鳥取県西部地震(2000年。M7.3)も、来るべき南海トラフ地震の先駆けのひとつかもしれないのである。

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