島村英紀『夕刊フジ』 2017年2月10日(金曜)5面。コラムその185「警戒せよ! 生死を分ける地震の基礎知識」 

繰り返されてきた連動地震の恐怖
『夕刊フジ』公式ホームページの題は「繰り返されてきた連動地震の恐怖 南海トラフ地震ももしかしたら…」

 日本史上、もっともナゾが多い巨大な地震がある。天正地震だ。

 天正13年11月29日、いまの暦では1586年1月18日に起きた地震。被害は、現在の福井県、石川県、愛知県、岐阜県、富山県、滋賀県、京都府、奈良県、三重県に広く及んだ。

 現在の富山県にあった木舟城は、液状化であっという間に姿を消したと言われている。城主ら城内の人はもちろん死亡した。

 滋賀県にあった長浜城が全壊、山内一豊の娘と家老が死亡した。

 また岐阜県にあった帰雲城も岩屑なだれに巻き込まれて城主など一族が滅亡。岐阜県にあった大垣城や愛知県にあった清州城も液状化で倒壊したり焼失するなど、各地の城に大被害を与えた。

 このほか滋賀県長浜では地震で液状化と地すべりが起きて、集落が琵琶湖に水没してしまった。また三重県・桑名宿は液状化で壊滅した。岐阜県・白川郷でも300戸が液状化に呑み込まれたり倒壊した。

 だが、この被害は一部に違いない。当時は戦国時代の末期で、まだ豊臣秀吉が東日本を支配する前だった。歴史資料がちゃんと残っていない時代だったからだ。

 大地震の被害の広がりはマグニチュード(M)7.9を記録した1891年の濃尾地震よりもずっと大きかったことになる。濃尾地震は日本最大の内陸地震で、被害の範囲は岐阜、愛知、滋賀、福井の各県に及んだ。死者行方不明者は7000人以上、全壊家屋は14万戸以上にも達した。

 だが、天正地震には、濃尾地震のときにはなかった津波が日本海岸の若狭湾、太平洋岸の三河湾の双方を襲って多くの溺死者を出すなど、津波でも大被害を生んだ。

 それだけではない。はるか離れた宮城県南三陸町の言い伝えに「畿内、東海、東山、北陸大地震の後に津波来襲」という記述がある。また北アルプスの焼岳が地震のときに噴火したという言い伝えもある。

 昔だから正確なマグニチュードは分からないが、とんでもない大地震が日本の中央部を襲った可能性がある。

 だが一方で、一つの地震としてはあまりに広い範囲に被害記録がある。しかも太平洋岸でも日本海岸でも津波が来たことから、もしかしたら、一つの地震ではなくて、複数の地震が相前後して起きたのではないかという疑いがあるのだ。

 じつは、濃尾地震も内陸直下型地震としては異例の大きさだった。内陸の地震としては地震学の常識より10倍もエネルギーが大きな地震が起きたのだ。このため、複数の断層が連動したのではないかという学説もある。

 そもそも、大地震が起きたことによって、隣や近隣の地震が起きやすくなることがある。たとえば1854年に起きた安政地震は、32時間おいて、また大地震が西隣で起きた。安政東海地震と安政南海地震である。

 これらは、ともに南海トラフ地震の先祖である。恐れられている南海トラフ地震も、もしかしたら、一つ起きれば、それで終わりではないのかも知れない。

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