島村英紀『夕刊フジ』 2016年1月8日(金曜)。5面。コラムその134 「警戒せよ! 生死を分ける地震の基礎知識」

元日早々から「津波警報」の誤報
『夕刊フジ』の公式ホームページの題は「元日早々から「津波警報」の誤報 全国の自治体でも初の試みも」

 和歌山県で携帯電話を持っている人たちは元日早々、びっくりしたにちがいない。

 午後2時8分に配信された緊急速報メールで県は「和歌山県沖で大きな津波の観測があった」と避難を呼びかけたからだ。さらに午後3時には、「津波がさらに大きくなっている」という2通目のメールも送信された。メールは県内にあったすべての携帯電話に送られた。

 この情報を受けて逃げ出した人もいた。JR紀勢線に乱れが出たほか。県庁や消防、警察に問い合わせが殺到した。

 だが、これらは誤報だった。午後3時15分に取消のメールが配信された。昨年11月から和歌山県が独自に始めた津波警報システムの誤作動だった。

 このシステムは紀伊半島沖の熊野灘に設置された海底津波計からの信号を、気象庁を介さずに県独自に入手して警報する仕組みだ。全国の自治体でも初の試みだった。

 海底津波計は海底に設置して海面の上下を精密に測る。津波は外洋を舞台にする海溝型地震が起きたときに生まれるものだから、外洋で海面の上下を津波計で測っていれば、時間的にも早く検知できる。測られた津波の高さと時刻が分かれば、沿岸に津波が到達する時刻と津波の大きさが津波に襲われる前に計算できるというわけなのだ。

 津波が伝わる速さは海の深さで変わる。物理的には水深の平方根に比例するから、深海ではジェット旅客機なみでも、海岸近くだととても遅くなる。このため後から来た津波が前を行く津波に追いついて、海岸近くでは数倍から数十倍もの高さになる。

 このため外洋では振幅が小さくても、海岸では大津波になる。

 ところで太陽と月の引力で起きる海洋潮汐(潮の満ち引き)も海面を上下させる。一般には沖合では小さく、沿岸や湾では大きい。和歌山沖では振幅40〜50センチメートルだが、たとえば有明海では6メートルを超えることもある。これは湾のなかの海水が共鳴するせいだ。

 海洋潮汐は、将来の満ち干が正確に計算できるから、津波の観測のときには影響を差し引ける。和歌山のシステムは年末までは正常に働いていた。しかし和歌山県職員のミスで1月からの海洋潮汐のデータを入力していなかったのである。

 沖合で測っている津波の高さは、そもそも数値としてはそれほど大きくはない。それゆえ海洋潮汐をセンチメートル以下の単位で正確に差し引かないと、とんでもない津波が来た、という間違った情報になってしまうのだ。元日は小潮で潮汐は小さかったが、事件はこうして起きた。

 じつはこの種の津波計は2011年の東日本大震災のときに岩手・釜石沖でも働いていた。大学が設置したものだ。そこで記録した津波は途方もなく大きなもので、その情報はすぐに気象庁に通報された。

 しかし、気象庁ではその情報を生かせなかった。岩手・宮城で3〜6メートルという、実際に襲ってきたものよりもずっと小さな津波予報を出してしまった。気象庁の津波予測システムにこのデータは取り込めなかったためだ。気象庁が大津波を予報し直したのはずっと後であった。

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