島村英紀『夕刊フジ』 2013年8月2日(金曜)。5面。コラムその13:「警戒せよ! 生死を分ける地震の基礎知識」

御前崎に夏だけ巨大地震”予兆”
(新聞のweb版の題は「御前崎に夏だけ巨大地震“予兆”のナゾ 測量に意外な落とし穴」)

 静岡県御前崎(おまえざき)。浜岡原発のすぐ近くで遠州灘と駿河湾を区切っているこの岬は、日本の地震予知でいちばん注目されている岬である。

 フィリピン海プレートが沈み込むことによって、御前崎の載っている西日本のプレートが引きずり込まれ、このため尖端にある御前崎が少しずつ沈んでいっている。その大きさは50年間で25センチほどだ。

 状況は千葉県の房総半島の南端にある野島崎も同じで、大地震と大地震の間には沈み込みが進んでいき、大正関東地震(1923年)のような大地震が起きると、岬は一挙に数メートルも飛び上がる、というのを繰り返してきている。

 御前崎では、いまの沈み込みが止まってその後ゆっくり上昇をはじめると、恐れられている南海トラフや駿河トラフの巨大地震が近い、というのが有力な学説になっている。このため精密な「測地測量(そくちそくりょう)」が定期的に行われて、御前崎の上がり下がりが測られてきていた。

 この測量はもちろん専門家の手によるもので、細心の注意をはらって行われていた。その精度は何十キロもの測線全体でも誤差が数ミリという高いものだ。

 しかし、測量の結果には不思議なことがあった。御前崎は全体としては少しずつ沈んでいくのは確かなのだが、毎年、春には沈み方が少なく、秋には多いのであった。つまり、毎年夏になると、御前崎の下降が止まったのではないか、と肝を冷やす年が続いていた。真夏の怪談――。

 御前崎は海に突き出しているから、潮の満ち干の影響を受ける。潮が満ちているときには御前崎のまわりの海底に重いものが載っていることになるから、御前崎はわずかながら沈む。逆に潮が引いているときにわずかに持ち上がるのである。

 精密な測量のこと、そんなことはとうに分かっていたはずなのだが、実際の測量は何日もかけて往復で行われていたので、そのあいだに何度も潮の干満がある。それゆえ満ち干の影響は平均化されて消えるものだと思われていた。げんに、月間で平均を取ってみると、潮位はどの月もそんなには違わない。

 だが、巨大地震の”予兆”かと思われた夏の怪談のナゾがようやく解けた。意外なところに落し穴があった。

 測量は標尺を目で見ながら行う野外作業だから昼間しか行われない。

 ところが昼間だけの潮位の平均は、じつは一日の平均潮位とは違ったのである。

 それは、月の引力はもちろんだが、そのほかに、昼間は頭の上にある太陽の引力も、潮の満ち干のひとつの原因だからである。引力の大きさは、月も太陽もほぼ同じくらいだ。

 地球の公転の軌道のせいで地球から太陽までの距離が季節によって違う。このため太陽の引力による昼間だけの潮位の平均を計算してみたら、夏と冬とで60センチも違っていたのだ。

 測地測量は地球測定のプロの仕事だ。そのプロにもぬかりがあったのである。

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