島村英紀『夕刊フジ』 2015年10月23日(金曜)。5面。コラムその125 「警戒せよ! 生死を分ける地震の基礎知識」

社会の高度化がもたらす犠牲者増の皮肉
『夕刊フジ』の公式ホームページの題は「社会の高度化がもたらす犠牲者増の皮肉 文明の便利さと引き換えに…」

 地震による死者数は年によって違う。多い年は世界で60万人もが死に、10万人を超えた年も多い。

 20世紀で最多だったのは中国で唐山地震(マグニチュード(M)7.5)があった1976年だった。この地震では中国政府の公式統計よりは倍以上も多い60万人近い死者が出たのではないかといわれている。地震直後から10年間、唐山地区に外国人は地震学者を含めて入るのが禁止された。閉鎖解除後の1987年に私が行ったときは大きな被害を出した一角が地震の遺跡として、そのまま残されていた。(右下の写真=島村英紀撮影)

 21世紀には2004年に起きたスマトラ沖地震(M9.1、2004年)は22万人以上の死者を生んだ。

 犠牲者数が10万人を超える大地震は、日本の大正関東地震(M7.9、1923年)をはじめ、さまざまな年にペルー、グアテマラ、トルコ、パキスタン、イタリアなど世界各地で起きている。

 ところが、地震として放出されたエネルギーが多い年は、地震の死者が多い年とは一致していない。

 米国の地球科学者が、放出された地震エネルギーを年ごとに計算したことがある。年によって地震のエネルギーは100倍も違っていた。

 エネルギーがいちばん大きかったのは1960年。この年を中心に、50年代の始めから60年代の後半までが20世紀中では最大のピークだった。地震には「当たり年」があったのだ。

 また19世紀から20世紀に変わる頃は世界的に地震が頻発したこともあった。

 なぜ当たり年があるのかはいまだ解けないナゾだ。プレートの動きが大規模に変動するのか、地球の自転がわずかながら変わるのか、といった学説はある。だが、どれにも強い反論がある。

 不思議なことがある。年別に数えてみると、地震のエネルギーが一番多かった50〜60年代は、死者の数は20世紀でも群を抜いて少なかったことだ。

 なかでもエネルギーがピークを迎えていた50年代の始めには死者は年間100人台で、これは世紀中で最も少なかった時代だった。

 同じように40年代や70年代以降世紀末までは、地震のエネルギーはずっと小さかったが、唐山地震などのように、地震の死者は多かった。つまり世界全体では地震のエネルギーが少ないのに、地震の死者は多かったのだ。

 これにはいろいろな理由があるだろう。

 ひとつは地震が襲う場所に運不運があることだ。人口密度が高いところを地震が襲えば、地震の大きさに比べて被害が大きくなるのは避けられない。

 世界の人口が増えていって社会が高度化すれば、同じ大きさの地震に襲われても被害が大きくなる。

 文明の便利さと引き替えに、災害への弱さを私たちは負わされてしまっていなければいいのだが。


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