島村英紀『夕刊フジ』 2015年8月21日(金曜)。5面。コラムその116 「警戒せよ! 生死を分ける地震の基礎知識」

巨大氷河が地震を引き起こした?
『夕刊フジ』の公式ホームページの題は「巨大氷河が消えたために地震が起きる? 氷河と地震の関係」

 カナダ北部にあるハドソン湾の沿岸には昔からイヌイット(エスキモー)の人たちが住んでいる。その古老たちは湾の中に新しい島が次々に生まれてきたのを語り継いでいる。これは、かつてあった氷河が消えて重しが取れたために地殻全体がゆっくり上がってきたためだ。

 氷河時代に世界の多くの場所を覆っていた氷河は厚さ数千メートル。その氷河が消えて1万年だが、「後遺症」として地震が起きているという学説が出た。現在のプレート境界ではないところ、つまりプレート・テクトニクスでは大地震が起きるはずのないところで大地震が起きた理由の説明である。しかも氷河がなかったところにも影響がおよんでいる。

 近年は地震がまったく起きていない米国東南部で1811年から1812年にかけてマグニチュード(M)8の巨大な地震が複数回起きた「ニューマドリッド地震」。米国ではアラスカ州を除いては史上最大の規模の地震だった。幸い当時は人がほとんど住んでいなかった。

 この地震群が北米大陸の氷河の融解による影響がおよんで起きたのではないかという学説が最近出されたのだ。

 この巨大な氷河はローレンタイド氷床(ひょうしょう)。「氷床」とは面積で5万平方キロメートル、東京23区の面積の80倍以上の大規模な氷河のことだ。この氷床はカナダはもちろん、北緯38度まで、つまりいまの米国の北半分を覆っていてニューヨークやシカゴもこの氷の下にあった。

 地震群が起きたのは、氷床より南にある米国の中南部だ。氷河の重しが取れたことによって氷河の周辺の地殻も歪み、それが地震を引き起こしたのでは、ということなのだ。なにせ地球のスケールの事件だから、氷河が消えて数千年たってから地震が起きても不思議ではない。

 氷河が消えたために大きな地殻変動があったのは北米大陸だけではない。スカンジナビア半島でも1万年前に氷河の重しがとれたので、最大では300メートル、全体で200メートル以上も飛び上がった。いまでも年に1センチメートルずつ上がっている。

 ノルウェーは氷河が消えていくにつれて人々が北上して住み着いていった。寒さに対する備えがなかった当時の人類にとっては、氷河が溶ける暖かさはまたとないありがたい環境の変化であった。

 それ以前には人類の祖先もほかの生物もたびたび地球の寒冷化に苦しんできた。生物の歴史とは、広く氷河に覆われることや気候の寒冷化によって多くの種が絶滅し、その後の温暖期に新しい種が別の命をはぐくんできた歴史の繰り返しだった。

 そのノルウェーでは地震観測データが残っている18世紀以降、1759年から1996年まで5回、M4〜6の地震が起きた。人口密集地の直下で起きたらかなりの被害を生じかねない地震だ。これらも氷河が消えたための地殻変動が起こした地震だと思われている。

 これからも世界のほかの場所で同じような意外な地震が起きるかもしれない。地震学者は新たに提唱された「地震の理由」に頭をかかえているのである。

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