教室の窓--中学国語 新しい国語
1992年5月1日号(東京書籍)

教科書との距離感を読む 高際尚子
教材をめぐって 2年3単元「深海にもぐる」(
「調査と報告」)

一 よろず教科書

 教科書は、小さいころから好ぎだった。まっさらの教科書をもらってむさぽり読んだ。でも、教員になってそんな感動とは縁遠くなった。教科書を教えるのは苦手だ。

 文学的教材なら昔から好きだったからいいが、説明文や論説文はできることなら避けて通りたい。説明文の授業のつまらなさは、受ける側でも授業者の側でも味わっている。私の知っている国語の先生がたは、十中八九「説明文が嫌い」だった。だから私は手前勝手に思いこんでいる。

 〈国語の教員はみんな説明文が嫌いだ〉

 その理由。私たちば説明文のプロしやない。プロになるために私たちが学んできたことといったら、「夏目漱石」やら「宮沢賢治」やら「紫式部」だった。国語学や国文学は学んだけれど、説明文や翻訳文を読むカリキュラムが大学にあっただろうか?説明文や論説文を全く読まなかったわけでばない。むしろレポートや卒論を仕上げるためには、数ある評論書を読んだ。だが、段落分けをしたり、小見出しをつけたりする読み方はしなかった。そういえば、要約するのさえめんどうで、一部を丸写しにしてレポートと称して提出した覚えはあるが。

 昨今の学校自体も多角経営をやっているが、(給食の献立を立てたり、犯人探しをしたり、トイレ掃除のノウハウを勉強したり)国語科はさらによろずやだ。字は美しく正確に、文章はすらすらと、朗読も上手に、古文も読めて、そのうえ説明文を読む時には理科的な知識や歴史上の知識も、生徒が知っているのより少じは多く持っていたい。欲張れぱきりがなくなるし、息も切れる。

 国語教育に文学以外の教材を必要とするなら、説明文を読むプロフェッショナルだって教育の現場にいるぺきしやないかと思う。例えばジャーナリズムやマスコミについて研究した人とか…。苦手な説明的文章をどう授業していけぱいいのか、教職経験を何年も重ねた教員が研修に励みつつ、それでもやはりみんな苦手なのは、説明文のプロがいないからなのだと私は思う。

  社会科だって歴史の専門家や地理の専門家が入りまじっているし、理科だって化学や生物や物理の専門家がいるじやないか。だいたい文学少年少女以外は国語の教員になれないという国語の教員の養成システムがヘンなのだ。少少漢字を知らなくても、文学史に精通してなくても、いいではないか。その代わりに説明文の読み取りが驚異的に速い教員がいたって。

二 仕掛けをばらまく

 繰り言はこのくらいにして本題に入る。〈国語で何を教えるか〉の議論は多くなされてきたと思う。国語力を身につけさせるには、読書をたくさんすれぱいい。私は国語の授業で国語力を身につけてもらったおぽえがあまりない。〈読む・書く〉は読書につきる。〈聞く・話す〉は単に「慣れ」であって、国語の授業以外に負うところが大きい(それができなくても大学に受かるし)。基本的言語生活という部分だ。

  読書好きな生徒は、自然「言葉」を自在に操ることができるようになる。説明的文章だろうが何だろうが、読める生徒は勝手にどんどん読めるのだ。われわれがわざわざ文章を切り刻んだり、短く要約したりするワザを教えずとも、一読して筆者の言わんとすることをわかってしまうのだ。

  つくづく国語の教師の存在意義は希薄だと想う。だから私は、あるときは〈歩く辞書〉、またあるときば〈ノート点検人〉、そしてまたあるときは〈受験用模範解答機〉としての存在に甘んじ、生徒に便利に使っていただく。積極的に学習する集団であれば、それでも充分有意義な授業ができる。

 ただ、それだけでは私がつまらない。自分が楽しまなくちや、と、いろいろ仕掛けを作ってぱらまく。新手の仕掛けを考えてくると、生徒は自分からのめりこんでくるから楽しい。説明的文章など、こっちが苦手なものだから、ありきたりでばだめだ。こんな場合は教科書ぺったりにならず、教科書からく距離〉をおく。そしてどちらかというと生徒の側に立ってみる。

  いちおう変なプロ意裁で、ついつい紋切り型に陥って、「説明的文章ば、生徒に筋道だった、要点をとらえた読み取りをさせなければならないのだ」などと思い込んでしまうことがよくある。シロウト目で見ることをときどき考えてみる。そうするとけっこう説明文が違った輝きを持って私にも見えてくる。

三「深海に潜る」の指導の流れ

 苦手意識の言い訳が長くなった。「深海に潜る」の指導計画を立てなかった理由は以上である。生徒がどんなふうにこの教材を読んだかを知るまでは、私の頭は白紙。

 とりあえず、反応を観察しながら読ませるのが第1時の授業。

 そして第2時。
〈発問1〉「へえ、おどろいた」「ふうん、そうなのか」「えっ、びっくりした」と思ったこと、何でもいいから発表しよう。
 生徒の答えに私が驚いだことは、

1。こういう科学的でしかも探検記的な文章に興味を示す生徒がけっこういること。

2。この文章を書いたのが〈地球物理学者〉という聞き慣れない科学者であることに驚いた生徒がいたこと、だった。

 あたりまえのことだが、そうだった、こういう文章が好きなく科学大好き生徒〉もいるんだった、と再認識。そして、彼らは概して、国語の教科書の文章を書いているのは文学者(もの書き)だと思い込んでいたのだ。理科や数学を専門とする人たちが文章を書くなんて、信しがたいということらしい。幼稚な発想だがおもしろい。

  そこで、筆者をクローズアップ。〈地球物理学者の島村さん〉が、生徒たちの頭の中で生きて動いてくれたら大成功だ。島村さんを生身の人間としてとらえることによって、深海という未知のものへの興味だけでなく、アーヌーさんやシアロンさんとの連帯、ノーティール号をめぐる人々の情熱も感じとることができれば、彼らの脳ミソに一鋤いれられる。

 第2時の授業で目標はつかめた。

 島村さんの人柄がにじみ出ているような顔写真ば、親しみが持てて有益な補助教材だ。 第3時の授業。

〈発問2〉島村さんの仕事はどんな仕事?

〈答え〉地震を予知する仕事らしいけど。それより探険したり研究したり実験したりするのが好きでやっているみたいだ。

〈発問3〉島村さんに代わって、プレートテクトニクスをみんなに説明してごらん。

〈答え〉(黒板に図を書きながら)これがこうなって、こういうふうに下がってきて(教科書の図と同じだよと他生徒に指摘されて)。島村英紀代理人は、とうとう下敷きと教科書を使って下敷きのたわみとはね返りで大陸プレート上で地震が起きるわけを説明してくれた。大拍手。

〈発問4〉島村さんは今回何をしたのか。

〈答え〉ノーティール号に乗って、深海に潜った。…「何のために?」地震の観測のため。…「で、何をしたの?」海底傾斜計を海底の適当な場所に据えつけるため。…「はい、それではそれを全部つなげて言ってみてください」

 彼らの答え方はカタコト的だ。いつ、どこで、だれが、何のために、何を、どのようにしたのかを、一文につなげて説明するのがヘタクソだ。だからカタコトしか発しない。でもとりあえず発言させてみよう。彼らの脳ミソだってめまぐるしく動いているところだ。うまく脳ミソの歯車がかみあってないだけで。

  そうそう、そうやって脳ミソを回転させるトレーニングが大切なのよ、と思いながら待つ。彼らは必死になって頭の中でコトバをつなげようとする。ノートにかいてみようとする子もいる。どうしてもダメならいいけれど、できれば頭の中でつなげてごらんよ…。と、こんなふうに授業は進んだ。

 もちろんクラスによって、おもしろい部分は延長したり深入りしたり、充分私は楽しんだ。

四 まとめと課題

 私の授業はその都度〈生徒たちにどんな人間になってばしいか〉を目的にする。〈何を教えるか〉はあまり考えていない。

 「調査と報告」は、これからの世の中、どんな職業にっこうが必要不可欠な仕事になるだろう。デスクに座り、パソコンで打ち込んだデータをプリントアウトしただけで報告完了とするなら簡単かもしれない。だが、私は島村さんのように自ら海底まで出向き、外国の仲間と共に作業し、目的外のことまで観察したり感しとったりできる人間の幅の広さを生徒たちに期待したいと思ったのだ。

 問題点はある。主に、私の授業についてこない生徒がいることだ。ついてこられないのでなく、気持ちがついてこない子のことである。〈どんな人間になってほしいか〉をテーマに進める授業は、大人になって社会人となったときに役立つことに必ず結びつく。生徒はうすうすそれに気づくからおもしろがって授業にくいついてくれるのだと思う。だが、一部の生徒はこう言う。

 「先生の授業は他の学校の国語の授業と違う。先生ばすぐに自分で報告書を作ってみるとか絵に書いて説明しろとか言って楽しいけど、高校入試にお絵かぎは出ない。もっと教科書をきちんとやってほしい」

 そう、はた目に見て、私はあまり教科書をきちんとやっていない。ほとんど毎時間教科書を「使う」が、教科書の内容を全部数えなければ、とは思っていない。

 私に批判的な、かの一部の生徒は、不満と言うより不安なのだと思う。画一性の世の中で、他と違うことをやることに、与えられたものをきちっとやる習慣づけをされてきた子供たちが、教科書を離れることに……。よくあるジレンマと思うが、彼らは目の前のテストでいい点を取りたいし、受験戦争には勝ちたい、その気持ち余って不安に走るのだ。このごろ「点取り虫」は復活の兆しだ。イジメの対象でばなくなってきた。彼らのような生徒がますます存在を主張するようになると思う。

 苦笑いしてやりすごすか、彼らに正面きってぷつかっていくか。今の私の小さな悩みごとである。

●東京都北区立滝野川中学校勤務

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