デジタル月刊百科(日立デジタル平凡社)1999年12月号 新刊書評5から引用。(デジタル月刊百科の会員でないと繋がらないリンクを一部含んでいます)。
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巨大科学の〈宿命〉に失望した科学者 島村 英紀 |
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地球科学に革命を起こした船――グローマー・チャレンジャー号 |
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1960年代に花開いたプレートテクトニクスは地球科学の〈革命〉であった。しかし,革命であるがゆえに,多くの抵抗や反感や無視があった。とくに,この革命が地球物理学者が主導して行われたものだから,地質学者には抵抗が強かった。世の中では地球物理学と地質学は同じようなものだと考えている人も多いにちがいないが,じつは,かなり違うものだ。つまり,地質学者こそが地球の歴史を扱ってきたはずで,地球の〈現状〉しか分からないはずだった地球物理学者が地球の歴史を組み立ててしまったという,いわば縄張りを荒らされて顔が立たなくなってしまった反感もあった。この本の著者,ケネス・シュー(許靖華)氏も翻訳者の高柳洋吉氏も地質学者であり,ちなみに私は地球物理学者である。 この本は深海掘削計画(DSDP)と言われる,特殊な掘削船で海底に孔をあけて試料を採ってくる計画の立ち上がりから終了までの15年間(1968〜1983)のハイライトを描いたものだ。プレートテクトニクスは地球物理学のデータから得られた学説だけに,実際の試料,それも,海底が生まれて拡がっていくというプレートテクトニクスを地質学者たちが信じるためには,海底から採ってきた試料そのものが必要だった。この計画は1968年に米国が開始し,1973年ころからはドイツや日本など5ヵ国が分担金を払って参加するようになった国際的な科学計画である。 中国で生まれ,米国で大学教育を受けて米国,次いでスイスで科学者としての職を得ていた許氏(現スイス連邦工科大学教授)は,この計画の初期の段階からかかわってきた。そして,実際に海底に孔をあける南大西洋の航海航海に主席研究員として参加する。 そのドキュメントは緊迫感がある。それは,許氏が,なまじ,はじめからの信奉者でないだけに,プレートテクトニクスが実証されていく過程に立ち会った生々しさと,自分が信じてきたものが崩れ去っていく悔しさが伝わってくるからである。その後のデータの蓄積やDSDPの成功を見るにおよんで,現在にあっては,ほとんどの地質学者は〈転向〉してしまった。しかし,この転向の軌跡や心情は,いままで誰も語ってくれなかった。正直に吐露した本を見たのは私にとっては初めてである。 そのほかこの本では,それぞれの章で,地球科学のかなり古い歴史から説きおこして,世界各地の海底での掘削で明らかになったプレートテクトニクスの検証に至るまでを系統的に書いてある。歴史としては,たとえば18世紀の層位学の誕生から始まっている。これは教科書に使えるほど教育的でもあるし,科学哲学,科学史の面でも貴重な本である。 しかし,許氏の本意はそれだけではない。当初はとうてい実現不可能のように思われた数千mの深海底をさらに1,000m以上掘り抜く計画を,誰がどうやって実現させたかを記すことにもある。米国の地球科学(地球物理学も地質学も)の優れた科学者たちがどんな理念を持ち,どう努力して,どう成功したかという話は,当事者であった科学者にして初めて書けたことであり,これも興味深い。 私の大学時代の先生が講義のときに,地面の上には(研究という)実が落ちていなくて,高い木に登らねば実がとれなくなった,と嘆いていたのを思い出す。個人や小さなグループでできる研究が減り,地球科学もご多分にもれず,巨大な道具立て,莫大な予算,巨大な研究組織を必要とする巨大科学への道を歩き始めていたときだった。その意味では,この深海掘削計画はひとつの頂点だったろう。特殊な船。深海で孔を掘る特殊な技術。それを運営するための膨大な費用。しかし,これを推進して成功した当時の科学者には,若々しい夢の実現への動機と卓抜な発想があった。地球科学は発展期にあり,はつらつとした革命への雰囲気に満ちていた幸せな時代なのであった。そして,その目論見どおり,この計画は大きな成果をあげて,プレートテクトニクスを不動のものにした。 ここまでがこの本の内容なのである。序文を入れて500頁を超える大部の本だ。 しかし,科学者として,私はもっと別のことにも強く惹かれた。もともとこの本は1981年に英語で書かれたが,最初にドイツ語版が出,その後中国語版が出た後にようやく1991年に米国で英語版が出た数奇な運命を持つ本である。本のはじめに,これらの版ごとの序文が,日本語版,米国版,中国語版,ドイツ語版と出版の逆の順序で,21頁にわたって出ている。 そこで私が眼を剥いたのは,1998年に書かれた日本語版序文にある,現在の深海掘削計画(ODP)に対する激しい批判である。DSDPが15年間で終わったあと,ODPはより多くの国が参加して,より優れた掘削船で行われている国際計画で,現在も続いている。日本はこの段階になってDSDPの時代よりも何倍も高い莫大な分担金(年額約3億円)を払うようになっている。分担金が高くなったために,欧州諸国やカナダ,オーストラリアなど多くの国は,日本と違って単独では加盟することができず,コンソーシアム(連合)をつくって数ヵ国が一口として参加するようになっている。 許氏はこの日本語版序文で,〈科学政治家たちがこぞって継続を希望して立ち上がったODPからはDSDPを立ち上げた多くの巨人科学者たちが去り,科学の民主化という致命的な過ちを犯した。想像力や理想主義,革新的なアイデアを持った提案は退けられるようになった〉と言う。また〈ODP計画の成果を謳う広報パンフレットは,株主に対する大会社の報告書のように大言壮語を並べているが,中身はほとんどない〉〈革命は終わった。通常の研究しか残っていない。ODPになってからは,マスコミに大見出しが踊ることはなくなった〉とも言う。 この痛烈な批判が〈日本語版の序文〉だけにあって,本文にない(分担金を払えない国の科学者を主席研究員から引きずりおろすなど,エピローグで,ODPが立ち上がる前夜の科学政治のサワリだけがある)のは残念で,そこもまた書いてほしかった。地球科学にかぎらず,すべての研究が巨大科学への道を歩もうとしていたり,歩むべく道を探っているいま,深海掘削という巨大科学がどう立ち上がって,どう堕落していったかは,科学のあり方を考えるうえで重要な示唆になるからである。 ほんとうのところ,許氏が言う「〈大きな発想〉が巨費を得ることができた最初の段階」だけが,いい科学ができるのではないだろうか。私は前に私の著書で〈科学の研究では,大研究所が名門の名を保つのは難しい。これは教訓的なことだ。常にユニークさが求められる科学研究では,立派な設備や厚い陣容が裏目に出て,むしろ研究者の保守化の傾向を助けて,研究を矮小化してしまうことが多いのだろう〉(島村英紀著『地球の腹と胸の内』》★)と書いたことがある。 つまり,巨大計画や巨大組織にとっては保身が第一の目標になってしまい,それと同時に科学的な業績は低迷してしまうのである。許氏が失望したものは,たんにDSDP後のODPだったのではない,いわば巨大科学や巨大組織の〈宿命〉だったのであろう。 (しまむら ひでき/地球物理学) |
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[目次] |
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[関連書] 大陸と海洋の起源 |
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[執筆者略歴] |
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