建築の雑誌『施工』(彰国社)

シリーズ連載「地震学の冒険」1999年3月号・その24

魚は地震を予知できるのだろうか
(これは加筆して『地震学がよくわかる---誰も知らない地球のドラマ』に再録してあります)

 日本の地震学会では年に2回、定期的な発表会がある。毎年春には東京で、秋には地方の大学が持ち回りで開いている。世間の注目をなにかと集める学会で、学会を開くたびにテレビカメラが入る学会は、ほかには少ないだろう。

  しかし、テレビカメラや新聞記者が追う発表は限られている。もっぱら最近に起きた地震がどんな地震だったかという研究発表である。つまり、起きてしまった地震についての解説を求めているのである。

 しかし、なかにはガラガラの会場もある。それは地震予知を扱うセッションである。

 え、地震予知が不人気?と思う読者も多かろう。そうなのだ。地震学会での地震予知関係の発表の数は、決して多くない。

  しかもそのうちの大半は、アマチュアの研究者の発表なのである。プロの研究者で地震予知そのものについて取り組んで研究している学者の数は多くはなく、それゆえ発表の数も限られているのが実状なのだ。 なぜ少ないのか、日本の地震学者は地震予知にどう取り組んでいるのかは別の回に話そう。

 今回は、そのガラガラの会場にもめげず、自説を説き続けるT先生の話である。T先生をアマチュアの研究者とは言えないかも知れない。先生は定年になるまでは東大の教授だったのだから。

 しかし、T先生がいま研究していることは定年の前に先生の専門であったこととはちがう。先生の専門は地球の大きさや形を測ることだったが、いまは魚が地震を予知するかどうかを研究しているのである。

 先生の研究によれば、東日本の太平洋岸では、16世紀からいままでにイワシ(マイワシ)の豊漁期は4回あって、その時には大地震が多かったが、その谷間の不漁期には大地震がないという。イワシの豊漁は40-50年続くことが多いのだが、それが地震活動と一致しているのだという。

 もともと、岩手県の三陸地方には、イワシがよく捕れるときには大地震がある、という言い伝えがある。たとえば、1896年の明治三陸津波地震と1933年の三陸沖地震の二回の大地震の前は、異常なくらいの豊漁であった。

  1896年の地震は地震の震度は小さかったが、大津波を生んだので有名な地震だ。1933年の地震は潜り込む太平洋プレート全体が断ち切れてしまったほどの巨大地震であった。大地震の前に、魚が何かを感じて集まってきたのだろうというのが先生の説なのである。

 じつは漁獲量と地震の関係を最初に論文に書いたのは寺田寅彦である。彼は伊豆半島の伊東沖の一日ごとの群発地震の数のグラフと、近くで捕れたアジやメジ(マグロの仲間)の漁獲量のグラフが、大変よく似た形をしていることを示した。

  しかし寺田には、その理由はわからなかった。不思議なことに、この漁獲量は、地震が起きていた相模湾側のものではなくて、伊豆半島を挟んだ反対側の駿河湾側の漁獲量だった。なぜ相模湾側の漁獲量でなかったのかはわからない。

 T先生は、この寺田の追試をしてみた。1974年から1989年までの16年間に、相模湾一帯に分布している定置網27箇所の漁獲量のデータ全部を調べ上げたのである。

  この16年間には、伊豆大島で島民全部が島外に避難した1986年11月から12月にかけての噴火もあったし、1989年5月に始まった群発地震がどんどん盛んになって7月に手石海丘を作った海底噴火もあった。またこの全体では、寺田が調べたような伊東沖の群発地震は11回あった。

 このへんで定置網でよく捕れる魚はアジとサバとイワシである。いずれも「浮き魚」と言われる魚で、群をなして浅いところを回遊している。それぞれの魚種ごとに、静岡県と神奈川県の水産試験所の統計がある。

 結果は寺田寅彦が示した例のように見事なものばかりではなかった。複雑な結果が得られたのである。

 なかには、寺田が示したのと同じような例もあった。たとえば、小田原と真鶴の間にある定置網では、伊東沖の群発地震とアジの漁獲量がよく並行している。また、熱海のすぐ南にある定置網でのアジの漁獲量は、1986年の伊豆大島の噴火の前後に起きた地震の数と並行しているように見える。これらのグラフだけを見せられれば、誰でも地震と漁獲量が関係があると思うほどのグラフである。

 なぜ、こんなことが起きるのだろう。魚たちは地震が嫌いで、海底に起きた地震から逃げようとして沿岸の定置網にかかってしまうのだろうか。それとも、地震が好きで、遠くからこの海域に寄ってきて、たまたま仕掛けてあった定置網にかかってしまったのだろうか。

 しかし、見事なグラフばかりではなかった。これらの定置網の近くにはいくつもの別の定置網があったのに、それらの漁獲量は、地震の数とは関係が見られなかった。しかもその中には、地震の震源にもっと近い定置網もいくつもあった。

 1989年5月に始まった群発地震と海底噴火のときも、27の定置網のうち、漁獲量のグラフが地震数のグラフと似ているものもあったし、どう見ても似ていないものも多かった。

 また、サバとイワシのグラフは似ているのに、アジのグラフは逆で、イワシとサバが増えたときには減り、減ったときには増える傾向があった。またイワシとサバも、同時に増えたり減ったりするわけではなくて、どちらかが遅れることがよくあった。

 これは、陣取り合戦のせいかもしれない。つまり、これらの魚は大群で移動するためもあって、同じ場所には一緒にいられないらしいのである。

 さて、データはここまでしかない。なんとも複雑な結果なのである。

 いまのところ、T先生の研究に対する学会の反応は暖かくはない。たしかに、先生があげた例は限られている。、東日本の太平洋岸での昔のイワシの漁獲量についても、地震の歴史にもあいまいさがある。

  たとえば漁獲量の統計がなかった昔の豊漁とは、漁師の親玉が景気がよくなって家を改築する、その建築件数からの見当である。もしかしたら、地震で壊れた家の改築を数えているだけかもしれないのである。

 しかし、この話は、あるはずはない、といって捨ててしまうには惜しい。ときには数万粒以上もの卵を生む魚が、環境のちょっとした変化で魚の数が大幅に変わるとか、または何かを感じて、群れの行動が変わって、網にかかりやすくなるとかの可能性があるかも知れないからある。

 たとえば、魚は大変鋭敏なセンサーを持っていることが知られている。魚や小動物が、怪我をしたり、死にかけて暴れているときに、ごく弱い電場を出すらしい。サメは、その電場の元を、餌のありかだと思って寄ってくるらしいのである。

 「らしい」と言うのは、人間が作る最高の感度のセンサーが、サメの持つセンサーよりも、はるかに感度が低いために、事実が正確に知られていないためである。

 じつは、電場を感じるセンサーは、地震予知のための有力な道具として研究中のものである。センサーだから、感度が上がれば、それだけ小さな信号をキャッチすることができる。しかし、人間が捉えることができる信号は、まだ魚にもかなわない。

 生物学が進歩して、網に掛かった魚の脳から、どうして網に掛かる羽目になったかを読み出せるようになれば、地震の研究も進むかもしれないのだが。

(イラストは『地震学がよくわかる---誰も知らない地球のドラマ』(島村英紀)のために、イラストレーターの奈和浩子さんに描いていただいたものを再録しました)

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