島村英紀が撮ったパタゴニアの写真


1:カラファテ上空から氷河湖(ラゴ・アルヘンチーナ)と氷河を望む

パタゴニアはアルゼンチン南部にある広大な地域だ。東の大西洋岸から西に向かって平原が続き、南米大陸の西端近くにあるアンデス山脈に至る。氷河地帯の入り口の町、カラファテまではブエノスアイレスから空路で2730km。

さすがパタゴニア。風がうなっている。景色は荒涼としている。 パタゴニアの降水量は平地ではごく少なく、山に入ると2m、もっと奥だと7mにも達するので氷河が出来る。たしかに平地では、灌水をしないと砂漠のようで、植物も、とびとびに乾燥に強そうなブッシュ、たとえば白くてトゲのある葉がある草(写真15を参照)だけだ。

(2002年12月に撮影。撮影機材はNikon F80。フィルムはコダクロームKR64)


2:ペリトモレノ氷河の崩壊現場

カラファテから車で約2時間でペリトモレノ氷河 Perito-Moreno Glacier に着く。

動く速さは1日に2mもあるから、昼も夜も、雷のような氷河崩壊(Calving)の音が轟く。

末端での氷河の高さは50-60mほどある。


(2002年12月に撮影。撮影機材はNikon F80。フィルムはコダクロームKR64)


【追記】このペリトモレノ氷河が2008年7月に、冬としては極めて珍しいことだったが、大崩落した


3:ペリトモレノ氷河の全景

ペリトモレノ氷河の面積は257平方キロ。流れ下っている速さは中央部で2m/日、両端では40cm/日。押し出しの幅は5kmもある。


平地での農業のためには水資源が必須だが、人類の将来のためには氷河資源は大事な資源だ。

というのは、地球が持つ水のうち海水が97.5%も占め、真水はわずか2.5%しかない。その真水のうちでは、氷がじつに4分の3を占め、残りの4分の1が地下水である。

川や湖の水はどうしたって?それらは地球の全部を合わせても、地球の水のうちの、なんと0.009%、つまり地下水の1/70、氷の1/200しかないのである。

地下水や降水に恵まれている私たち日本人にはなかなか実感できないが、 人類の将来にとって、氷河の水資源がいかに大事なもので、その消長を調べる研究がいかに大事なものかが分かってもらえるだろうか。


(2002年12月に撮影。撮影機材はNikon F80。フィルムはコダクロームKR64)


4:ペリトモレノ氷河の崩壊現場・最先端

カラファテから車で約2時間西へ行けば、ペリトモレノ氷河に着く。

動く速さは1日に2mもあるから、昼も夜も、雷のような音ともに氷河崩壊(Calving)が起きて壮大な水しぶきを上げる。小さな津波も発生する。この氷河の末端は北極圏で見たスピッツベルゲンの氷河の先端とよく似ていた。

じつはここでの本格的な研究が始まったのは、1990年頃からのアルゼンチン国立南極研究所と日本の研究者の共同研究以来である。地球の水資源の将来を左右するこの氷河崩壊の正確な量や、崩壊と気象条件との関連も解明されていない。

このため、私たちは、早ければ2006年にも、地震計を使ってCalvingの「震源決定」と「事件の規模の測定」をしたいと計画している。つまり氷河崩壊を「地震」だと思って地震学的な測定と解析を行う研究である。氷河崩壊については、かつて水位測定(つまり津波の観測)を短期間行った研究があるが、この目的には十分ではなかった。


(2002年12月に撮影。撮影機材はNikon F80。フィルムはコダクロームKR64)


5-1:ペリトモレノ氷河。崩壊現場の全景

ペリトモレノ氷河の前面では幅5kmにわたって崩壊が起きている。崩壊した氷河は、氷山となって氷河湖(ラゴ・アルヘンチーナ Lago Argentina)を下っていく。末端での氷河の高さは50-60mほどある。

氷河の下端の標高は180mほど。この辺での年平均気温は4-6℃。それでも氷河はゆっくりとしか溶けない。目の前に緑の木が茂り、花(図6)が咲いている目前に氷河が迫ってきているのは異様な風景だ。

モレノ氷河の(末端より数キロ上での)底、つまり基盤岩は700-800m。スイスのチームが制御震源地震学(人工地震)で決めた。つまり氷河の底は海面より低い。

この氷河の「舌」はこの写真を撮った2002年末以後、どんどんせり出してきて、手前の水面を完全に覆ってしまった。 そして、予想されていたように、2004年3月12日に、いままでにない大崩壊を起こした。

一方、ノルウェーの内陸氷河のように、いまにもフィヨルドまで落ちてきそうな氷河ながら、氷河が作られる速さと、消えていく速さがバランスしていて、水面まで落ちてこない氷河もある。

(2002年12月に撮影。撮影機材はNikon F80。レンズはTokina 19-35mmf3.5-4.5、19mmで撮る。フィルムはコダクロームKR64)


5-2:ペリトモレノ氷河を空から見れば。

ペリトモレノ氷河を上空から見ると、氷「河」というものの感じがつかめる。この写真は、ブエノスアイレスからパタゴニアのウスアイアに飛んだ定期航空機の右側(西側)の窓から撮った。

はるか遠くの山の間の間を縫って、氷河が流れ出してきている。そして、中央部、やや厚くなっているところが、氷河湖に氷河が落ちる崩壊の現場なのである。

普通の観光客は、崩壊現場の右側に半島状に出っ張ったところまで行ける。こちら側はエル・カラファテ空港から、バスの道が続いている。崩壊現場の近くには、豪華なホテルもある。

一方、左側に出っ張った半島は、国立公園の関係者や、科学者だけが行くことを許されている。ここに行くためには、氷河湖を船で渡らなければならない。

私はここで、アルゼンチン国立南極研究所の科学者とともに一晩を過ごしたが、一晩中、雷のような氷河崩壊の大音響がとどろきわたっていた。

(2002年12月に撮影。撮影機材は Kyocera T-zoomで撮る。フィルムはフジカラーネガS400)

6:真っ赤な鮮やかな花。firebush

ここに咲く木、真っ赤な花が鮮やか。firebushという。アンデス山脈の反対側であるチリ側にも多い。

(2002年12月に撮影。撮影機材はNikon F80。フィルムはコダクロームKR64)


7:アルゼンチン国立南極研究所の研究

人類の将来のためには氷河資源は大事な資源だ。地球上の淡水資源の多くは氷河が担っており、その氷河の消長は、将来の地球の水を左右する。もちろん氷河の変化は地球温暖化のバロメーターでもある。

 アルゼンチン国立南極研究所は苦しい経済事情の中でも、ペリトモレノ氷河の研究を続けている。これは光波測距儀。氷河の上に置いた反射鏡との距離をレーザー光で精密に測って氷河の移動速度を測っている。

操作しているのはアルゼンチン国立南極研究所のペドロ・スバルチャ博士、世界的な氷河学者である。

 ここでは北海道大学の低温科学研究所などの日本の研究者もアルゼンチン国立南極研究所と共同研究を行ってきていて、日本の観測器も設置されている。その後のオーストリアとの共同研究では共同観測期間終了後は機械は持って帰ってしまい、次の観測まで、工具類はなんとアルミの箱に入れて鍵をかけて置いていってしまった。つまりアルゼンチン側には使わせないという「共同」観測であった。

 なおスバルチャはかって登山家だった。このへんの山を総なめにした。なかには3000m+級だが6000m級よりも難しい山が多い。なお、氏はまた、アルゼンチンの最高峰であり、南北米大陸の最高峰であるアコンカグア(6960m)の頂上に重力計を担ぎ上げて重力測定をした、世界の重力観測の高度記録を1975年まで保持していたほどの山男でもある。(その記録は中国隊がチョモランマで1975年に破った)。

(2002年12月に撮影。撮影機材はNikon F80。フィルムはコダクロームKR64)



8:ペリトモレノ氷河の早朝

氷河の南側に船で渡ることが出来て、そこからは朝日に照らされた荘厳な氷河を眺めることが出来る。時々刻々、光のありさまが変わっていく。

(2002年12月に撮影。撮影機材はNikon F80。フィルムはコダクロームKR64)



9:ウプサラ氷河

ペリトモレノ氷河の北にある氷河。長さは60km、面積は902平方キロもある大きな氷河で、やはり前面では崩壊が起きている。後方の山はアルゼンチンとチリの国境の山。アンデス山脈である。


(2002年12月に撮影。撮影機材はNikon F80。フィルムはコダクロームKR64)

10-1:ウプサラ氷河の全景

ウプサラ氷河 Uppsala Glacier は、長さは60km、面積は902平方キロもある、見渡すかぎり拡がっている大きな氷河で、写真に見られるように左右両方から合流している。

氷河を見渡す場所から俯瞰した。やはり前面では崩壊が起きて氷河湖に崩れ落ちている。

ここでも、氷河の下端は標高180mほど。この氷河湖は1966年に出来た。

元々はたぶん地球温暖化が引き金だが、いったん出来ると、Calvingが進み、水深が増えるとまたCalvingが加速して、どんどん大きくなった。一種の「正のフィードバック」だと考えられている。

(2002年12月に撮影。撮影機材はNikon F80。レンズはTokina 19-35mmf3.5-4.5、24mmで撮る。フィルムはコダクロームKR64)


10-2:氷河擦痕とアンモナイト

近くには氷河が削っていった面(氷河擦痕)が光っている。上を歩くと滑りやすい。アンモナイトが、そこここの岩に埋まっている(指先)。

氷河が流れ落ちていくときに山を削っている様子を北極圏のスピッツベルゲンで見たことがある。

(2002年12月に撮影。撮影機材はNikon F80。フィルムはコダクロームKR64)


11:ウプサラ氷河の麓の村、エスタンシア・クリスティーナ

ウプサラ氷河の麓には、夢のような景色が広がっている。この写真を人々に見せたら、スイス、とかカナダ、とか言うかもしれない。しかし、天気がいいときは、パタゴニアも十分に美しいのである。

ウプサラ氷河に行くためには、氷河湖(ラゴ・アルヘンティーノ)を渡る船が必要だ。鉄道はもちろん、道路も続いていない。この船が着いたところには、この写真の小さな集落、エスタンシア・クリスティーナがあり、酪農と観光で食べている。

アルゼンチン国立南極研究所の科学者は、乏しい研究費を補うために、観光客に地質や氷河の説明をして、わずかな金を稼ぐ。ゆっくり、この景色を楽しむ余裕はないのである。

(2002年12月に撮影。撮影機材は Kyocera T-zoomで撮る。フィルムはフジカラーネガS400)


12:アルゼンチンとチリの国境の山、アンデス山脈

目の前にはチリとの国境をなす美しい高山が聳える。山頂付近には大小いくつもの氷河がみえる。

チリとアルゼンチンの国境は本来、分水嶺のはずだが、チリは(軍事力は大したことはないが)伝統的に外交を頑張るので、国境はアルゼンチンに不利になっている。

将来の水資源を考えると、分水嶺かどうかはきわめて大事な問題になりうる。

チリとアルゼンチンの国境の標石は、300kmもないところがある。この辺もそうだ。例えばヨーロッパでは考えられない間隔である。


なお、中央に見える尖った山は、有名なパイネ尖峰(フィッツ・ロイ、地元ではチャルテンと呼ぶ)である。この世のものとも思われない針のような岩が何本もそびえている。

(上の写真は2002年12月に撮影。撮影機材はNikon F80。フィルムはコダクロームKR64)

右の写真は、このフィッツロイ(チャルテン)をカラファテに着陸する直前、飛行機内から超望遠レンズで撮ったもの。揺れる飛行機から、窓ガラスを通して、遠い距離のものを撮ったために、いい写真ではないが、なんとも不思議な山が連なっているのが分かってもらえるだろうか。

(右の写真は2004年9月に撮影。撮影機材はPanasonic DMC-FZ10、レンズは432mm相当、F4.6、1/1600s。露出補正は-1.0EV)


この他のアンデスとパタゴニアの写真はこちらにも

13:パタゴニアの入り口、ウスアイアUshuaiaは「世界最南端の町」でもある。

アルゼンチンの首都ブエノスアイレスからパタゴニアに入るのには二つの道がある。一つはカラファテ(あるいはリオガジェイゴス)まで直航で飛ぶ方法だが、便数が限られている。もう一つは、アルゼンチン南端にある「世界でも最南端の町」ウスアイアに飛んで、そこから北上してパタゴニアに入る方法である。

私はこの町には、南極の帰りに寄ったことがある。夏でも寒く、風がうなっていた。目の前には万年雪や氷河を戴いた山が連なっている。目の前に横たわるのはビーグル海峡。大西洋への出口である。

(1991年2月に撮影。撮影機材はOlympus OM4。フィルムはコダクロームKR64)

[この写真は関西国際空港情報誌『KAN・KUU』のNo.81(2004年4-5月号)に、椎名誠氏のエッセイ「激しい風貌の大地 パタゴニア」とともに、載せられています]

(なお、Ushuaiaの発音はウシュアイアでもウスアイアでも、どちらでもいいそうです)

14-1:「世界最南端の町」ウスアイア、その2-1

ウスアイアはチリとの国境にごく近い。ごく狭いビーグル海峡の向こうにそびえているのはチリ側の山(上の写真)だし、振り返れば、アルゼンチン側の山が、この写真のように、町のすぐ背中まで迫ってきている。

寒くて過疎、産業もないウスアイアは、税金を安くして、外国産業の誘致に走った。こうして1980年代には、欧州や日本の電機メーカーの工場がいくつも出来た。写真に写っている大きな建物も、工場のひとつだ。

しかし、企業は冷たいものだ。世界の他の地域で、労働力が安かったり、税金が安ければ、なんの躊躇もなく、他の場所に生産を移してしまう。こうして1990年代の終わりには、ほとんどの工場が出ていってしまった。

(1991年2月に撮影。撮影機材はOlympus OM4。レンズはOlympus Zuiko 100mmf2.8。フィルムはコダクロームKR64)

この写真をとても気に入ってくださった方がおられます。


14-2:「世界最南端の町」ウスアイア、その2-2

ウスアイアの町が背負っている山の中で、もっとも美しいのがこの「紅い山」である。形もいいし、岩肌が赤みがかかっているので、西日に映えて紅く染まるさまは、この辺でも随一の眺めだろう。

上の写真は夏。左の写真は早春に撮った。夏には眼をこらさないと見えなかった、山肌の激しい褶曲が見て取れる。この地層は、下に述べるように、スコシアプレートと南米プレート が現在の姿のように接する前、フェゴ島が南方からの激しい圧縮を受けていたときの歴史を示している。

港には、南極海でオキアミでも捕るのだろう、トロール船が泊まっていた。南極には赤い船がよく似合う。

(2004年9月に撮影。撮影機材はPanasonic DMC-FZ10、レンズは164mm相当、F4.0、1/800s。露出補正は-1.33EV)

このほかのウスアイアの写真はこちらにも


15:パタゴニアの東部の平野部はこんなに乾いている。

1.に書いたように、パタゴニアの平野部には、雨がほとんど降らない。これはカラファテ空港から西のアンデス Andes 山脈を眺めた景色。

遠くに氷河や雪山が見えるが、この平野部には、乾燥にとくに強い、皮が厚い草が、ぽつんぽつんと生えているだけの乾燥地帯だ。ときどき、コンドルが空を舞って獲物を探している。

(2002年12月に撮影。撮影機材はNikon F80。フィルムはコダクロームKR64)




16:パタゴニアの南端にあるフェゴ島国立公園

ウスアイアの町から西に車で1時間ほど行ったところに、フェゴ島・ラパタイア国立公園がある。

そもそもパタゴニアに行こうという観光客は多くないし、そのなかでも南の端にあるこの国立公園を訪れる人は少ない。1991年に南極の帰りに私が訪れた日は、パタゴニアにしては珍しく風が弱い日だったし、誰もいない荒野で、孤独を満喫した。

じつは、フェゴ島はスコシアプレート Scotia Plate と南米プレート South American Plate の境界線が通っているところだ。しかし、このプレート境界は、まだ研究の手が入っておらず、ほとんど知られていないプレート境界なのである。このため、私たちは、この境界の解明のための研究を2004年秋(現地では早春)から始めている。

(1991年2月に撮影。夏の終わりだが、後ろの山には新雪がうっすら積もっていので白っぽく見える。撮影機材はOlympus OM2N。フィルムはコニカD200)

17-1:フェゴ島の上を走るプレート境界-1

ウスアイアの町から国道3号線を1時間ほど北に走ったところに峠がある。その峠から見たプレート境界。はるか彼方に左右に拡がっているのがファニアーノ Fagnano 湖。長さが100kmほどある、ごく細長い湖だ。この湖と、その東西の延長がプレート境界だと思われている。

私たちは、この境界をはさんで、フェゴ島の各地に臨時に地震計を設置した。アルゼンチン国立南極研究所との共同研究である。いままで、この境界は地震学的に詳しく調べられたことはなく、陸上を走るプレート境界としては、世界でもっとも研究が遅れているプレート境界である。

今回の私たちの研究は、微小地震の震源分布や地震のメカニズムから、プレート境界を研究しようとするものだ。

ファニアーノ湖の手前にエスコンディド Escondido 湖が南北に延びる。そのさらに手前に見えるのが、国道3号線の旧道で、狭い上に急勾配の難所だった。いまは旧道の上に新しい道が造られているが、勾配こそ小さくなったものの、ぬかるみでガードレールもない道だ。

(2004年9月に撮影。南緯55度。早春なので、旧道はまだ深い雪に覆われている。雪が「腐って」いるので、どんな四輪駆動車も通れない。撮影機材はPanasonic DMC-FZ10、レンズは39mm相当、F4.0、1/500s)

17-2:フェゴ島の上を走るプレート境界-2

上の写真と同じところから望遠レンズで撮ったプレート境界の湖、ファニアーノ湖。

このプレート境界をはさんで、地形が全く違う。スコシアプレート側は、ごつごつした岩山が続き、一方北側の南米プレート側は、写真に遠く見えるように、境界のごく近くだけに山があるものの、すぐ後からはパタゴニアの大草原が続いている。この山も、手前側の山(たとえば下の写真19)と比べれば、はるかになだらかな山だ。

これほど両側の地形が違うプレート境界も珍しい。

(2004年9月に撮影。撮影機材はPanasonic DMC-FZ10、レンズは95mm相当、F4.0、1/800s)


18:フェゴ島の上を走るプレート境界-3

そのファニアーノ湖の東端。湖に沿って走る道が中央付近、ちょっとした灌木の林があるところで歪んでいるのがわかるだろうか。

これが、二つのプレートの相対的な左横ズレ運動によるものだと思われている。正面が北。境界はこの写真の中央部を左右に走っている。つまり、この道のズレよりも手前がスコシアプレート、先が南米プレートで、南米プレートが相対的に画面左側へ動いているのである。

この付近では1949年にかなりの地震があり、近くの家が何軒か壊されて、その土台だけが残っている。

中央左の四角くて大きな建物は、 かつてフランスが作った気球の放球用の建物だ。地球上に、これより南にはなんの陸地もない場所であるこのフェゴ島は、私たち固体地球物理学者だけではなくて、大気物理学者などの流体地球物理学者たちにとっても、貴重な観測地なのである。

(2004年9月に撮影。撮影機材はPanasonic DMC-FZ10、レンズは261mm相当、F2.8、1/80s)

19:フェゴ島の上、スコシアプレート側の岩山

上に書いたように、このプレート境界をはさんで、地形が全く違う。これは、スコシアプレート側は、ごつごつした岩山。雲海の中にも尖った峰が透けて見える。

(2004年9月に撮影。撮影機材はPanasonic DMC-FZ10、レンズは200mm相当、F7.3、1/1300s)

20:フェゴ島の上、スコシアプレート側の主要国道3号線

ブエノスアイレスからフェゴ島の首都ウシュアイアに至る国道3号線は、アルゼンチンではもちろん、世界でも、もっとも長い国道である。その長さは3063kmにも達する。

これは、ブエノスアイレスから2960kmの地点。スコシアプレート側らしく、ごつごつした岩山が続き、道はぬかるみの非舗装道路である。私が通ったのは9月中旬だったが、 道にはところどころ雪が残り、日陰はまだ凍結していた。

ガードレールもない道だから、雪山に見とれているひまはない。運転は慎重を要する。 しかも、車はフロントウィンドウも、ヘッドライトも、たちまち泥だらけになってしまう。

ところでフェゴ島には明らかに「アジア顔」をした先住民がいる。この人たちの先祖は、もともとはユーラシア大陸からアラスカ経由で北米大陸まで歩いて来た人たちのうちの一部で、さらに歩き続けて、南米大陸の南端にまで歩いてきた
人たちなのである。

(2004年9月に撮影。撮影機材はPanasonic DMC-FZ10、レンズは111mm相当、F5.6、1/800s)


21:フェゴ島の上、南米プレート側の主要国道3号線

ところが、その国道は、南米プレート側に入ったとたんに一変する。上に書いたように、このプレート境界をはさんで、地形が全く違う。一面に拡がる、パタゴニアの草原である。

ここはブエノスアイレスから2800km地点。ウシュアイアから198kmという表示がある。交通量は、ごく少ない。数分に一度、それも長距離トラックが通るくらいである。

この辺の道は、一応舗装されている。しかし、見られるように、もっとも素朴な舗装だし、この主要国道にも、舗装していない道は多い。

天気は穏やかに見えるが、パタゴニア特有の強風が吹き荒れる乾燥地帯でもある。

(2004年9月に撮影。撮影機材はPanasonic DMC-FZ10、レンズは240mm相当、F5.6、1/640s)

22:グアナコ、パタゴニアの南米最大の草食野生動物

フェゴ島の北半分、パタゴニアの草原地帯には、このグアナコが多い。長い、暖かそうな毛をパタゴニアの強風になびかせながら、草をはんでいる。首が長く、大きな目を持つ。顔は黒く、尻尾は、まるでぬいぐるみのように丸い。

このグアナコが、はじめてヨーロッパ人に紹介されたときは、「頭と耳はラバのようであり、首と胴体はラクダに似ており、足は鹿に、尾は馬に、鳴き方も馬に似ていた」(マゼランと同行して体験記を書いたピガフェッタ)というものだった。文章だけを読んだ読者は、どんな不思議な動物かと思ったに違いない。(ピガフェッタの文章は椎名誠『真昼の星』からの引用)

フェゴ島の北半分、つまり南米プレート側にはところどころに牧場があるが、このグアナコは、牧柵をあっさり飛び越えて、野山を自由に駆け抜けていく。

(2004年9月に撮影。撮影機材はPanasonic DMC-FZ10、レンズは432mm相当、F5.6、1/800s)

このほかのパタゴニアの写真は

島村英紀が撮った海底地震計の現場
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