『地震はどこに起こるのか―地震研究の最前線』(ブルーバックス、1993年発行)・6章「海の地震を追って」の大幅な加筆と図と写真の追加

私たちの海底地震計。その開発の歴史と苦労・その3
(ノンフィクションとしては島村英紀『地球の腹と胸の内――地震研究の最前線と冒険譚』をご覧ください)

目次
1 :なぜ海底地震計が必要?
2:手作りの海底地震計
3:完全ではなかったポップアップ式海底地震計
4:バケツ形の海底地震計
5:ポップアップ式海底地震計の完成
6:思わざる敵
7:現代の海底地震計
8:海底地震計の中身
9:番外編。旧ソ連の海底地震計


 5:ポップアップ式海底地震計の完成

 この海底地震計には隙間の空気を真空に引くための細いパイプがついています。パイプの端を開ければ水が入ります。

 パイプを壊す方法はいろいろ考えられましたが、機械的な動きを利用するものは使いたくありませんでした。海底地震計が着いた海底が傾いていたり、海底地震計が柔らかい深海堆積物の中に埋まったりしたら、機械的なものはうまく動くかどうか心配だったからです。

 このため私たちは強制電蝕というものを試みました。これは海水の中においた金属に電流を流して、強制的に腐食させて溶かしてしまう方法です。誰もやったことのない方法でした。

 私たちはゼロの状態から、実験をやることになりました。どんな金属が、どのくらいの電気を流せば、どう溶けるか、自分たちで実験してみるしかなかったのです。私たちの実験室は化学の実験室のようなありさまになりました。

 私たちは実験の結果、ステンレスを材料に選びました。ステンレスは台所の流しにも使われているように錆びない金属です。海水の中でも錆びたり穴が開いたりはしません。

 しかし海水の中で電流を流せば、薄い板やパイプなら十分間ほどで、影も形もなく溶かせることが分かりました。ふだんは丈夫で電気を流せばすぐに溶ける、ステンレスは、これにぴったりでした。(左上の写真)

 パイプを溶かす技術は、こうして私たちのものになりました。そしてせっかくのアイデアだった真空吸着がうまくいかなかったことが分かったとき、私たちはこの方法ではなくてガラス球をオモリに取り付けることにしたのです。取り付けにはいろいろな工夫を試みました。

 結局、私たちがたどり着いたのは、強制電蝕で溶かすステンレスの板そのもので、ガラス球とオモリをつなぎ止めることでした。コロンブスの卵です。

 ステンレスの板は、電車の切符くらいの大きさです。板の厚さは、わずか0.3ミリほどですが、さすがステンレス、こんな薄くても、200キログラムの力で引っ張っても切れません。

 左の写真は、バケツ型の次に作ったポップアップ式海底地震計です。ガラス球は黄色いプラスチックの「保護帽」に包まれています。

 その黄色い保護帽の下部に着いているオレンジ色の皿とそこから生えている脚が、海底に捨ててくる鉄製の錘です。

 脚は、深海底にある深海軟泥に刺さることによって、海底地震計のセンサーと海底とのカップリング(結合)をよくして、海底の振動を忠実に記録するためのものでした。

 しかし、深海底で実際に海底地震計がどのくらい深海軟泥に潜っているのかを見ることは出来ません。ときに、「保護帽」の中に深海軟泥が入って帰ってきますから、10〜40センチくらい潜っていることが多いようなのですが、ときには、もっと硬くて、海底地震計が潜りにくい海底のときのために、次世代のポップアップ式海底地震計では、錘をもっと平たくしました。それが右下の写真です。

 ガラス球を直接、ステンレス板でつなぎとめる仕掛けはうまくいきました。捨ててくるオモリは、あまり凝ったものではなくてよくなったので、ずっと簡単に、しかも安く作ることができました。

 下の写真は、右下の部品を組み込んだ完成形です。モデルは当時、大学院生だった金沢敏彦氏(いまは東京大学地震研究所教授)です。

 こうして私たちのポップアップ式海底地震計はようやく合格点に達しました。1970年代の後半のことです。海底地震計を始めてから、早くも10年近くがたっていました。
 設置は海底地震計を海面に下ろすだけで、あとは勝手に海底まで降りて行ってくれます。回収も、海面まで自分で帰ってきた地震計を、船の上に拾い上げるだけでした。ずいぶん小さい船でも、多くの海底地震計を設置したり、回収したりすることができるようになりました。

 ロープ係留式海底地震計の時代にも、どんな小型の漁船でもできる作業にはしてありました。しかしポップアップ式海底地震計のほうが、簡単な作業であることにはまちがいがありませんでした。

 このために、ロープ係留式海底地震計の時代には海底地震計を五、六台とりあつかうのがせいぜいだったものが、何十台でも観測に使えるようになったのです。ポップアップ式海底地震計は、研究を大いに進められる強力な武器でした。

上の写真に写っているのは当時、大学院生だった金沢敏彦さん(現東京大学地震研究所教授)。機械にも電気にも強かった金沢さんが参加してくれたおかげで、私たちの海底地震計のチームはとても強力なものになりました。


 6:思わざる敵

 しかし、またも思わざる敵がいました。私たちのフィールドが日本近海だったのが不幸なことだったのです。

 その敵は台風や低気圧でした。何千メートルの深さで地震観測を続ける海底地震計にとっては、海の上で風が吹こうが雨が降ろうが、へいちゃらです。

 しかし海底地震計の回収のときだけは別です。タイマー式のポップアップ式海底地震計では、浮いてくる時間を海底に設置する前に設定しておかなければなりません。

 右の写真がタイマーです。ここには5セットが写っていますが、ひとつの海底地震計には1セットを使います。信頼性がとくに大事なものですから、ひとつのセットに3つの時計を組み込んで、「多数決」でタイマーの信号を取り出すようになっています。これは当時、大学院生だった卜部 卓氏(いまは東京大学地震研究所助教授)が作ったものです。

  さて、タイマーが無事に働いても、地震観測を終わって、決められた予定通り海面まで浮き上がってきた海底地震計を待ち受けていたのが、台風だとしたら…。

 船はその海域にはとうてい近付けません。流れや風によっては、浮いてきた海底地震計は、一日に100キロ以上も流れてしまいます。海底地震計が浮き上がってくるのを知りながら、みすみす海底地震計を失うことになるのです。

 これが日本近海ではなくてハワイの近くや、グアムの近くだったら、一年中海はおだやかですから、こんな心配はありません。

 地震観測の期間は二、三週間はほしいのです。つまり日本では海底地震計を設置するときに、回収のときの天気を予想することは、ほとんど不可能なのです。

 一難去って、また一難でした。この欠点をなくすためには、別のものに頼らなければならなかったのです。

 その解決はひとつだけありました。トランスポンダーです。トランスポンダーとは、超音波を使った離脱装置です。水の中は電波も光も伝わりませんが、超音波だけは伝わります。

 船の上から、海底にある海底地震計に向かって、上がってこいよ、という指令を送ります。海の中では、光も電波も遠くまでは届きませんから、この指令は、超音波という高い音を使います。

 海底地震計に取り付けてあるトランスポンダーは、この音が聞こえるのを待っていて、聞こえたら、自分でオモリを外すのです。

 この指令は、15キロメートルもはなれても聞こえるようになっています。だから、たとえ海底地震計が何千メートルもの海底にあっても、呼び上げることができるのです。

 海の中は、クジラが鳴いたり、船が走るときに水をかき回したり、さまざまな音に満ちています。でも、15キロの範囲というと東京の山手線の内側よりも広いくらいです。この範囲にある海底地震計を呼び上げられる、ということは、深海は陸上にくらべれば、にぎやかとはいっても、ずっと静かではあるのです。

 このさまざまな音と区別するために、私たちが海底地震計に送る超音波は、暗号になっています。海底地震計ごとに暗号がちがって、それぞれ別々に、呼び上げることができるのです。

 なかなか、うまい仕掛でしょう。

 しかし、私たちは数々の生みの苦労を経験しなければなりませんでした。

 トランスポンダー式海底地震計の最初の仕組みは、左の図のようなものでした。

 海底には左のように、軟着陸するようにパラシュートを付けて設置します。このパラシュートは、海水で溶けてなくなる金属を使って固定してありますので、着底後はパラシュートは海底地震計から離れます。つまり、底層流で動いて、海底地震計にとっての雑音を出すことはありません。

 そして、観測が終わったときは、船からトランスデューサーというものを下ろして、海底にある海底地震計を呼び上げるのです。

 最初は既製品のトランスポンダーを使いました。海洋物理学などの観測に使われていたトランスポンダーで、米国製のものでした。

 しかし、この既製品のトランスポンダーは、海底で使うためのものではなく、海中に吊って使うものでした。

  そのため、トランスデューサーから送った超音波が、海底地震計のすぐ近くの海底で反射して帰ってきた超音波と干渉して、せっかくの暗号を暗号として受け取れなかったりすることもありました。つまり海底地震計のような海底に設置する機器には、別のむつかしさがあったのです。

 また、 そもそも、あまりにも大きくて高価なものでした。

  右の写真はマニュアルと首っ引きで米国製トランスポンダーと格闘する、当時大学院生だった岩崎貴哉氏(いまは東京大学地震研究所教授)。

 こういった産みの苦しみをしばらくしたあと、私たちは成功しました。

 しかし、ここまでは長い道のりでした。20年あまりかかったことになります。


(イラストは、イラストレーターの奈和浩子さん『地震学がよくわかる---誰も知らない地球のドラマ』のために描いてくださったものです。)

1 :なぜ海底地震計が必要?
2:手作りの海底地震計
3:完全ではなかったポップアップ式海底地震計
4:バケツ形の海底地震計
5:ポップアップ式海底地震計の完成
6:思わざる敵
7:現代の海底地震計
8:海底地震計の中身
9:番外編。旧ソ連の海底地震計

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