今月の写真
あまりにも普通なバーの写真の蔭にある人間模様


 一般に知られていることではないが、北半球の早春は、じつは南極基地で暮らす隊員たちにとって、もっとも辛い時期なのだ。

 それは、南極の夏の間、資材輸送や人員交代のために来てくれていた南極観測船が、南極を離れて帰国する時期だからだ。南極は、これから、病気になっても怪我をしても、誰も来てくれない、あまりにも長い十ヶ月をむかえることになる。

 某国の南極基地では、帰国する船が見えなくなったとたんに基地に放火した隊員が出た。しかし、そこまでは追いつめられなくても、それに近い気分になる隊員は、各国とも、いまでも多い。

  写真は、南極、キングジョージ島にあるポーランドが持つ南極基地だ。十数人が暮らすこの南極基地は、西南極(経度が西経にある南極。ちなみに日本の昭和基地は東南極にある)では、設立も古くて、設備も立派な南極基地である。多くの科学的な成果をあげてきた。

 南極基地は夜になると、照明を切り替えて、バーになる。写真の右側に並んだソファーで、隊員たちは、酒を楽しむのである。バーとしては、雰囲気も、ソファーも、酒も、決して悪くはない。しかし、毎日同じ顔ぶれの人間と、限られた話題だけで飲まなければならない生活がどんなものか、想像ができるだろうか。

 ところで、写真の左の壁には、いままでの各観測隊の写真が貼ってある。この写真がらみで、 以下は、島村英紀『日本海の黙示録―「地球の新説」に挑む南極科学者』から。なお、この文章の一部は2013年に出した島村英紀『人はなぜ御用学者になるのか--地震と原発』にも再録した。


心理テストを超えた世界

  南極で生活することは自分の弱さとの闘いでもある。隔絶した南極での、この闘いに敗れる科学者は多い。

 私がジュバニー南極基地を訪れたときにも、部屋の隅で、私がいままで見たこともないような暗くて虚ろな眼をした男が、いつまでも黙って私たちを凝視していた。ジュバニー南極基地で長い冬を過ごしたのは12人の男。その一人なのであった。

 アルゼンチンは越冬する基地を五つも持つ南極基地大国で、南極観測の歴史も長い。そのアルゼンチンの基地では刃傷沙汰があった。気がふれた隊員の放火で、ある基地が全焼してしまったこともあった。

 しかし事はアルゼンチンの南極基地だけに起きるわけではない。各国の南極基地とも、ナイフを持って追いかける事件くらいは珍しくない。事件が内々に処理されてしまって、表に出ないだけなのである。

 南極基地という閉じた社会で長い期間を過ごすためには、どういう人間を選ぶかは各国の悩みの種である。容易に想像がつくとおり、よき科学者がよき越冬隊員ではない例は、どの国にも多い。

 このためアルゼンチンでは、二重の厳しい心理テストにパスしなければ南極観測隊員にはなれない。長文のアンケートに全部答えなければならないほか、精神科医による長時間の面接テストもある。

 しかし、心理テストとは難しいものだ。たとえばポーランドでは、昔は必ずやっていた心理テストを最近はやめてしまった。ポーランドは南極観測だけではなくて、スピッツベルゲンでの北極観測にも永い経験を持つ極地研究の先進国である。そのポーランドでさえ、多くの実例が心理「テスト」と「実際」の矛盾を露呈したから、やめざるを得なかったのである。人間を読むことはかくも難しい。

 心理テストだけではない。各国とも、肉体的にも精密な検診を義務づけられている。日本の場合でも、精密に調べ上げると、何も問題がない人間はまずいないというほどの徹底した検診が行われる。アルゼンチンの場合は、たとえ健全でも、南極に行く前に、いささか乱暴だが、盲腸は手術で取り去ってしまうほどだ。

 年を取るほど問題が増えるものだから、米国では南極観測隊員は45歳以下に限られている。私は米国隊の隊員にはなれなかったはずだ。

 心理テストと医学検診。しかし、それでも問題が解決されたわけではない。

「塀の中」の心模様

 各国の南極基地にはそれぞれ特色がある。隊長に誰がなるか、もそのひとつだ。

 昭和基地をはじめ科学者が隊長を務めるのが一般的ななかで、アルゼンチン国立南極研究所のジュバニー南極基地の越冬隊長は、伝統的に医師が務めている。隊員の健康や心理面を重視した起用なのである。

 隊長マリアーノ・メモリー氏によれば、いちばん多くて、しかもてこずる病気は「落込み」だという。うつ病である。

 この落込みには有効な手段はない。紫外線を当てたり、特別な食物を与えたりするが、なかなか治らない厄介な病だという。軟禁状態、つまり「塀の中」にいる限り、良くはならないのが普通かも知れない。このほか、幻視や幻覚を訴える隊員も多い。これも南極にいる間は、なかなか治らない。

 長い越冬を終わって夏を迎えたジュバニー基地を最初に訪れるのは心理学者である。越冬隊員が本国に帰る前に「現場」でデータを取ることが彼らの使命なのである。彼らは私と同じ最初のヘリコプターで砕氷船「イリサール」からジュバニー南極基地に運ばれた。

 心理学的に言えば、環境が主因なのか個人が主因なのかが論争になっていて、まだ決着が付いていないのだという。心理学にとっては重要なテーマらしく、米国やカナダの心理学者が来て調査したこともあるほどだ。

 こうした現状を聞いていると、心理学が現実を分析するどころか、まだ現実に追いついていないように見える。心理学が処方としての役に立つようになるのは、そう近い将来でもあるまい。

 ポーランドが持つアークトウスキー基地の越冬隊長はプゼミスラウ・ゴネラ氏。地形学者である。

 ポーランドはこの基地に1986年から2年続きで女性越冬隊員2名ずつを派遣した。しかし、ポーランド隊では女性の派遣を、その後、やめてしまった。

 男女の混在は、心理的な安定にはマイナスだった、とゴネラ氏は言う。多数を占める男にとってだけではなくて、少数である女にとっても、それぞれの心の葛藤には克てなかったのである。

 基地の壁には各年度の記念写真が並べて飾ってある(右の写真)。その集合写真に写っている越冬隊員の男も女も、屈託がない笑顔を見せている。しかし、その笑顔の陰に何があったのか、知る人は少ない。

 アークトウスキー基地の越冬隊員には個室がある。ジュバニー基地の居室は机も置けないくらいの狭い2人部屋だから、こちらのほうが条件は少しはいい。しかし個室の広さはわずか3畳ほどのものだ。

 隊長の部屋も隊員と同じ大きさである。部屋の片側に造り付けのベッドと、その上に本棚。窓際には小さくて質素な机。これが家具のすべてである。あとは私物である。20巻ほどのカセットテープとラジカセが1台。窓際に観葉植物の鉢がひとつ。9歳と6歳、2人の愛娘の写真を個室に飾って寂しさを紛らせる。彼の部屋には時計が二つ並んでいる。片方はポーランド時間、片方はここの時間である。ポーランド時間の時計を眺めながら、家族の時々の生活を想っているに違いない。

 ゴネラ隊長がいま一番気を遣うことは、隊員の酒の量をいかにコントロールするかだ。単調な日々。閉じた組織。酒に溺れる科学者がいても不思議はない。

 基地の人間模様は社会の縮図なのである。

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