今月の写真
「大学の生き残り」について・その3「地下鉄のエレベーター編」

いままで二回、「大学の生き残りについて」の「今月の写真」で現在の大学のかかえる問題について書いた。一回目は、少子化で「過当競争」にさらされている大学がラベンダー畑を作って「客」集めを図っていることだった。札幌市のはずれにある東海大学である。二回目は札幌駅前のビルにある「郊外の大学が持つ「都心」のサテライトオフィス」についてだった。ともに、少子化で学生が減り、学生集めに躍起になっている大学の足掻きを示している。

一方、都会にある大学はそれなりに、別の問題をかかえている。

写真は東京の都営地下鉄白山駅(はくさん。東京都文京区)の地下にある大学生向けの看板。

いや、じつは看板だけではない。朝のラッシュ時にはここに大学の職員が立って、学生たちが写真奥にある地上に出るためのエレベーターに向かわないように阻止しているのである。マンモス大学の学生が大挙して押しよせれば、老人や障がい者など町の人々がエレベーターを使えない。町の人々にとっては、狭い駅の構内にウンカのように降りてくる学生たちはとても迷惑な存在なのである。

大学の職員も大変だ。大学にとって「大事なお客様」である学生たちに感謝されることはなく、ときには文句も言われる。しかも、なかなかの肉体労働なのである。

看板の言葉そのものは丁寧だ。しかし、実際に観察していると、大学職員が課せられている職務は、否応なしに押し返すことなのである。

じつはこの大学はほかの多くの大学が郊外に拠点を移した(註1)のと対照的に、山手線の中に踏みとどまった大学(註2)で、受験業界での大学のランクが「ニットウコマセン」(日大・東海大・駒沢大・専修大。註3)なみに上がったと喜んでいる大学だ。ほかの多くの大学が「都心回帰」したのは、この大学の「成功」を見てからだ。

この都心回帰現象によって、2014年には東京23区内の大学数は全国の12%(95校)、学生数は18%(51万人)と増え、2003年度のそれぞれ104%、16%から大幅に上昇している。

ちょっと前には、八王子(東京都八王子市)の先にあって中央高速道から見えるように大学敷地内の看板を誇らしげに建てていた共立女子大学も、すべてを引き払って都内千代田区の都心に回帰した。

最近の2014年11月に
も、東京電機大学が千葉ニュータウンキャンパス(千葉県印西(いんざい)市)を引き払って都心へ帰る決定をしたというので、活気がなくなる、商店街の売上が減る、電車の乗客も減る・・・というので、地元の反対に遭っている。

その前7月には、東京理科大が埼玉県久喜市から都内へ全面移転することを決めている。

大学が地方の活性化にも役立つように見えた時代は、すでに過去のものになってしまっている。大学と短大数は2001年をピークに減る一方で、私立大学の4割もが定員割れになっている。生き残りの瀬戸際にある大学にその余裕はすでにないのである。

なお、上の写真で円い柱に貼り付けてある注意書きは、右写真の看板とまったく同じ内容のものだ。たぶん、はじめは円い柱に貼り付けてある注意書きだけだったのだろうが、無視してエレベーターに向かう学生が多かったので、あとから、より威圧的な立て看板を追加したのであろう。

(註1)1959年、首都圏を対象に都市部での大規模教室の新設が、「工場等制限法」が制定された一環として規制された。このため、日大など多くの大学が相次いで郊外に移転した。だが、2002年に小泉政権の構造改革で同法が廃止されたこともあり、逆に都市部への回帰がはじまったのだ。

(註2)厳密にいえば、この東洋大学も文京区白山の狭苦しい敷地を嫌って、一時は一部の学部を郊外に移した。しかし2005年に朝霞キャンパス(埼玉県)で学んでいた文系5学部の1、2年生をこの白山キャンパスに集約した。このため大学近くの白山駅に乗り降りする学生が激増した。

(註3)「ニットウコマセン」(日大・東海大・駒沢大・専修大)は最近では「日大・東洋大・駒沢大・専修大」として通用しているという指摘が読者からあった。だとすれば、東洋大学は、上記の事情でランクが上がり、東海大学を「蹴落とした」ことになる。


「大学の生き残りについて:その1」
「大学の生き残りについて:その2」
「大学の生き残りについて:その4」
「大学の生き残りについて:その5」


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