今月の写真
空撮・日本の核燃料サイクルのカギを握る青森県・六ヶ所村の再処理工場。見込み違いとトラブル続きで、建設が遅れに遅れているようです。

写真は2011年11月、定期航空機の窓から見た青森県・六ヶ所村。写真右下にあるのが日本原燃の原子燃料サイクル施設(核燃料の再処理工場)である。

六ヶ所村は青森県の北東部で太平洋に突き出した下北半島の付け根の近くにある。写真上方(東にあたる)は太平洋。再処理工場のための人工港が写真右側にある尾鮫沼の河口に作られた。

この港から林を突っ切る道が集落に出たところに、六ヶ所村役場がある。役場から再処理工場までは、わずか4km。原発震災を起こした福島第一原子力発電所の避難地域の例を見るまでもなく、あまりに近い。

この再処理工場は、福井県敦賀市にある日本原子力研究開発機構の高速増殖炉「もんじゅ」とともに、日本の核燃料サイクルを担う重要な施設だが、見込み違いや、度重なるトラブルが続いて工期が遅れに遅れていて、いまだに将来の予測が立てられていない。

ここでは、日本全国の原子力発電所で燃やされた使用済み核燃料を集め、その中から核燃料のウランとプルトニウムを取り出すのが目的だ。最大処理能力はウラン800トン/年とされている。そのほか、全国の原発で溜まってしまって満杯になって原発の運転を止めざるをえなくなるのが時間の問題になっている使用済核燃料をここに移して貯蔵する容量はウラン3,000トンといわれている。

当初は2010年の本格稼動を予定していた。しかし、相次ぐトラブルのため工事の終了は2010年10月まで延期されていたが、その期限直前の2010年9月に、完成までさらに2年延期されることが発表された。こうして、「延期」は現在まで18回にも及んでいる。

このほか当初発表されていた建設費用は7600億円だったものが、2011年2月現在で2兆1930億円と約3倍にも膨らんでしまったが、これからさらに膨らむことが心配されている。

また、「もんじゅ」も1995年に冷却剤のナトリウムが漏洩して火災になった大事故以来、止まったままだ。しかし、運転をしていない状態でも、ナトリウムを高温に保つための電気代など、維持費が1日あたり約5500万円ほどかかっている。

この二つの問題だらけの未完の施設は、物理学者である私から見ると、いまだ世界のどこでもちゃんと成功はしていない、ずいぶん無理なことをやっているように思える。しかも、事故を起こしたり、失敗したときの影響は広範囲に及ぶので、とても恐ろしいことになる。

この六ヶ所村の再処理工場で、もし重大な事故が起きると、原子力発電所の事故よりはさらに深刻なものになる可能性がある。しかも、写真上方の太平洋の底では太平洋プレートと北米プレートが衝突していて、東北地方太平洋沖地震(2011年)のような海溝型地震が起きる「巣」である。また、下北半島の地下には、多くの活断層が隠れていることもわかってきている。

福島第一原子力発電所があれだけ重大な事故を起こしてしまったあとでも、日本の核燃料サイクルをやめようとしない日本の「国策」は、元首相・安部晋三の祖父で1960年代に首相だった岸信介が「原子力開発は将来の日本が核武装するという選択肢を増やすためだ」と回顧録(『岸信介回顧録---保守合同と安保改定』廣済堂出版、1983年)で述べているように、核武装の可能性を残しておきたいという「国策」がそのまま続いているのである。

村役場の西側(写真では下方)にある四角い茶色いグランドは第一中学。これにくらべて、再処理工場がいかに巨大なものかがわかる。なお、中学のすぐ脇で赤土を見せながら、国際教育研修センターとか環境科学技術研究所とかの原子力関係の施設が進められている。なお、六ヶ所村には、このほか、ウラン濃縮工場、低レベル放射性廃棄物埋設センター、高レベル放射性廃棄物貯蔵管理センターが併設して建設されているほか、今後 MOX燃料工場の建設も予定されている。

また写真右下から左上に、再処理工場をかすめて、逆S字型に、うねりながら伸びているのが国道338号線の尾鮫バイパスである。

再処理工場の北側の緑地には、風力発電のための巨大な風車がならんでいる。下北半島は、その先端の大間岬にいたるまで、多くの風車がならべられている場所でもある。


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