島村英紀『公認「地震予知」を疑う』を読んでくださる方へ


拙著『公認「地震予知」を疑う』(柏書房)の第4章「東海地震対策大綱の周りにある穴」の191頁「三重県の間違い」の節に引用してある三重県の公式ホームページは、現在は削除されているようです。

じつは、この本を書いている最終段階で、毎日新聞に依頼されて、
2004年1月12日(月曜、休日)朝刊に『論点』「主張・提言・討論の広場(オピニオン)」面というのを私が書いて、三重県の公式ホームページについて言及した直後に、削除されたようです。

このホームページは、予告も説明もなしに、突然、削除されてしまいました。この記事以前(削除前)に掲示されていた三重県のホームページは
このようなものでした。

(なお、三重県の例は、他にもある例の一つとして挙げただけで、この本の本旨にあるように、三重県だけの問題、あるいは地
方自治体が自分だけで解決できる問題ではありません)。


本を発行してから分かった間違い(ミスプリント)

■76頁10行目、と201頁後ろから6行目:「1964年新潟地震での石油タンクの炎上」は正確には12日目にようやく鎮火しました。新潟地震では一般の家からは火は出なかったのに、新潟市内の石油製油所、貯蔵所4カ所から出火しました。

3ヶ所の火災はすぐに消されましたが、
爆発炎上した昭和石油新潟製油所の石油タンクだけが12日間も燃え続け、東京消防庁や米軍の応援まで得て、ようやく鎮火しました。

この火災で近くの住宅60棟が全焼、7棟が半焼し、地震史上で最大のコンビナート火災になってしまいました。地震学者の卜部卓さん(東京大学地震研究所)から
ご指摘がありました。ありがとうございました。

■143頁5行目:地震学者「今村明恒」氏は、当時すでに東大を定年になっていました。氏は1931年に定年を迎えた、と地震学者の宮村摂三さんからご指摘がありました。申し訳ありません。また、ご指摘をありがとうございました。


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