『魚眼図』(北海道新聞・文化面)、2003年12月24日夕刊〔No.309〕

地球物理学者の教訓


 大学の教師ならいつも考えていることだが、年末にはとくに思うことがある。学生の心に何を残せるか、社会に出ていく前に教師として何をやってやれるか、ということである。

 学問の結果を教えるのはやさしい。もちろん結果を教えることは必要だが、学生に結果としての知識だけを詰め込んだとしても、それは彼らの今後の人生にとってのごく一部にしかならないだろう。

 学問の結果は、それぞれの研究者が必死の格闘の結果、得られたものだ。そこにはドラマも涙もある。その過程こそを伝えたい、学生たちが将来選ぶ分野がどうあろうとも、それぞれの問題にぶつかっていって、自分の努力で結果を得る、その過程のときに思い出してほしいというのが私の願いなのである。

 だが、先日、ある郵便局の前で私は凍り付いた。

 多分、年末になると道内の郵便局すべての入り口に貼ってあるに違いない黄色いポスターである。「特別警戒中 強盗の成功例なし」

 大学の教師がいちばん学生に教えたいことは、いままで成功したことのないことにこそ挑戦してほしい、ということなのだ。むろん強盗を薦めるわけではないが、その挑戦が科学の進歩の源泉であった。

 ポスターには日本郵政公社北海道支社・北海道監査本部とある。監査本部が何をするところかは知らないが、年末に増える強盗を脅すために、職員が一生懸命、考えた字句なのであろう。

 一枚のポスターが強盗ではなくて大学の教師を萎えさせてしまった。さて明日からは、失敗を繰り返さないと成功しない、というのをどう教えよう。

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