『私の視点』(朝日新聞・オピニオン面)、2003年6月28日朝刊

南極観測50年 地球環境への貢献 いまこそ

 少し前のことになる。昨年7月に中国の上海で開かれたSCAR(南極科学委員会)総会に、南極大国アルゼンチンから誰も現れず、参加者をやきもきさせた。この委員会は二年に一度開かれる、南極の科学を国際的に討議する唯一の世界的な会議である。

 南極は、軍事利用はもちろん、商業利用も禁止されている。冷戦の時代から現在に至るまで、南極がどの国にも利用されないで科学者だけの聖域でこられたのは、各国の南極科学者が主体的に討議する、この会議の存在が大きい。

 一方、各国の南極観測が、温暖化など地球が直面する問題に不可欠なデータを供給している。南極や北極のような極地は、地球の異変のバロメーターなのである。

 ようやく2週目になって、氷河学者S博士がたった一人で現れた。「越冬基地だけでも6つも持つ南極大国が、一人の代表さえ送れないのは国の恥だ」と政府と直談判してやっと旅費を得た。その一時間半後に出国して来たのだという。

 アルゼンチンの南極観測の台所は火の車だ。地球物理学部門には、現場に持っていけるノートパソコンが1台しかない。観測に使う機械の新規購入はできず、故障したらそこで観測は打ち切りになってしまう。観測機器を持つ外国との共同研究が、観測を拡大する唯一の方法なのである。

 このSCAR会議では分担金が払えない国の一覧表が配られた。エストニア、ウクライナ、ウルグアイはここ数年未払いなほか、チリ、中国、ロシアも払えなかった年がある。いずれも南極に越冬基地を持っている国だ。

 ポーランドも歴史のある大きな越冬基地を大幅に縮小した。私がかつてポーランドと共同で南極初の海底地震観測をした砕氷船も売却してしまった。かろうじて南極観測を継続している国が多いのである。

 ところで日本はSCARの分担金は払い続けているし、昭和基地を中心とした南極観測も順調に進められてきた。もちろん、ここまで来るためには、多くの先人の努力や、着実な観測の積み重ねがあった。

 オゾンホールの拡大の追跡をはじめ、厚い氷床のボーリング資料から昔の気候の復元、かつてインドや南極大陸が一体だったゴンドワナ大陸についての地球科学的な成果、日本隊が集めた隕石を資料にしての惑星科学の進展など、日本の観測で大きな成果が上がっていることもよく知られている。

 しかし、問題がないわけではない。南極観測船『しらせ』と同じ大きさのドイツの『ポーラーシュテルン』は南極だけではなく、北極でも各国の科学者を載せて活躍している(ちなみに、今日現在の位置は)。しかし、『しらせ』は自衛隊の運用上の制約から夏は使えず、北極には行けない。船自体も老朽化している(注1)

 一方、まもなく50年になる日本の南極観測から、最近は国民の関心がやや遠ざかりつつある。観測を続けることこそが必要な事業ということが理解を得にくいのかもしれない。また、越冬隊に参加するには一年半を費やさなければならないため、若い科学者には敬遠されている。他国の南極基地には飛行機を使って要員交代が出来るところが多い。病人やけがへの備えも考えれば、日本の南極基地も飛行機で行けるようになることが望ましい。

 各国は苦しい財政事情の中で、歯を食いしばって南極観測を続けている。日本の南極観測への貢献、それも昭和基地だけではなくて各国の観測への協力が世界から期待されている。

 人類が地球環境に影響を及ぼすようになったのは、19世紀の産業革命以降のことだ。南極観測を通じてその影響を追い続けること、それを地球の処方箋として後世に残すことが、いまほど必要とされている時代はあるまい。

注1本文には書かなかったもの:ポーラーシュテルンは年に320日も運航している。日本の官庁船は国立大学の海洋観測船を含めて、どれも年に180-200日ほどしか運航していないのとは大違いである。また、ポーラーシュテルンは2004年現在、すでに、世界35ヶ国、7000人の科学者を載せて研究を行ってきて、いわば世界中の科学者から感謝されている。

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