建築の雑誌『施工』(彰国社) シリーズ連載「地震学の冒険」 1999年11月号(その28)
(この文章は加筆して 島村英紀著『地震学がよくわかる−−誰も知らない地球のドラマ』に収録しました)

北極海であこがれたチキンライス

 前回まで、私たちが開発してきた海底地震計について、その耐圧容器や、その浮上装置について書いてきた。今回はその観測編である。

 今年の夏。ここは、ノルウェー沖の北極海。私たちの海底地震計のフィールドのひとつである。

 私たちが乗ったノルウェーの観測船は、ノルウェーの港を出てから一日半ほどは、ノルウェーに沿って北上した。沿って、とはいっても、船は両側にそびえ立つ息を呑むほど美しい岩山の間を縫っていく。ときには、岩山は氷河を戴いている。目の前で驚くほど高い滝が激しい飛沫を上げている。

そう、ノルウェーの西海岸はフィヨルドが四通八達しているから、船は1000km以上もあるノルウェーの長い海岸線に沿って、フィヨルドの中だけを通って北上することができるのだ。この間、外洋である大西洋に出るのはたった二カ所だけ、それも短い区間だけである。

 この航路を北上しているあいだは、一日二、三度は豪華な大型客船と行き交う。ノルウェーの沿岸航路は世界の金持ちに知られた観光路線なのである。とくに白夜が見られる夏は賑わう。デッキは人で鈴なりだ。

 これら客船の上では、北緯66度33分を越えて北極圏に入るときに祭りが行われる。海神に扮した船員や着飾った女性船員が華やかな祭りをくりひろげ、乗客に北極圏の入域証を手渡してくれる。

 しかし、私たちの船は、じつにビジネスライクに北極圏に入っていく。この船にとっては毎年何度も、そして私にとっても片手の指では数えられないほどありふれたことになっているからである。

それに、北極圏に入ったからといって、海の色が急に変わるわけでもない。違いがあるとすれば、アザラシが増えること、ときどき氷山に遭うようになることと、海が荒れやすくなることだ。

 私たちが北大西洋や北極圏の海を何度も訪れているのは、この深海底に大西洋中央海嶺が這っているからだ。この海嶺からはユ−ラシアプレ−トと北米プレートが生まれている。そして、ユ−ラシアプレ−トは東回りに、また北米プレートは西回りに地球をそれぞれ半周して、地球の反対側で衝突する。

その衝突が北海道南西沖地震(1993年)や日本海中部地震(1983年)なのである。それゆえ、私たちの海底地震計を大西洋や北極海の底に沈める実験は、世界の地球科学にとって重要なのはもちろん、日本の大地震の研究でもあるのだ。

 この船にかぎらず、船に乗って観測の現場に行かなければならないのが、私たち海底地震学者の仕事なのだ。北極海だけではなく、熱帯から南極海まで、さまざまな海に行った。そこに地球の事件があれば、そこが私たちの研究の現場なのである。


 船での観測は日数がかかる。長ければ数カ月を船の上で過ごすこともある。帰ってきたときに愛児に泣かれて当惑した科学者も多い。子供に顔を忘れられてしまったからである。


 私たちが借りられる船は小さいものしかない。だから、船酔いはつきものだ。

 搖れの少ない日は、何日かに一日はある。しかし、始めから終わりまで搖れない航海というものはない。

 船酔いはイヤな病いだ。船から逃げることはできない。しかも皆が等しくかかる病気ではない。どんなに揺れてもケロッとしている人を見ることは、船酔いを一層悪化させる。

 しかし、その逆のこともある。T先生は気分が悪くなると、船室で寝ているHさんを見舞いにいくのが常であった。Hさんはとくに船に弱く、誰よりも早く船酔いになり、誰よりも病状が重い。T先生はぐったりしているHさんを「見舞った」あとは、安心して少し元気になるのである。

 いくら船酔いしていても、船の上でしなければならない仕事は否応なしにやってくる。海底地震計の組立や海底への設置作業などだ。じっと寝ているのならまだしも、起きて無理に仕事をすることは、船酔いを一層、悪化させることになる。

 こんな雰囲気の中では、ともすれば悪いことが起きる。陸上の実験室では考えられないようなつまらない失敗を犯すことが、よく起きるのである。たとえば電線のつなぎ間違い。赤は赤、黒は黒、と唱えながら赤い電線を黒い電線につないでしまった失敗さえあった。

 どれも、なぜそんなミスをしたのか、あとからはとうていわからないような初歩的な失敗だ。船酔いや、狭い船内という拘禁状態から来るストレスのせいにちがいない。

 しかし、たったひとつのミスでも、何カ月もかけて準備した、海底地震計の観測をダメにするには十分なのだ。地震計が海から帰ってこなくなることさえある。せめて、私たちが飛行機の整備士や外科医でなかったことを天に感謝すべきなのだろう。

 船では陸上の生活とは違うことが起きる。船が傾くから目薬が差せない。助手のMさんは階段の手すりが頭に「ぶつかってきて」頭を打った。ほとんど落語の世界だ。もっとも危険なのは開いたままの扉だ。揺れたら扉にはり倒されることになる。

 机に置いたものが落ちる。電池やボールペンはなぜ丸いのだろうか。三角や四角のものだったらありがたいのに。もちろん、大事なものが机から落ちたら一大事だ。陸上なら修理を頼んだり部品を取り寄せたり出来るが、船では観測の命取りになる。

 食事だけが楽しみ? たしかにそうかもしれない。しかし、船酔いのときには食欲もなくなるのだ。食べられないときに自分の好物が出ることほど恨めしいことはない。

 そのうえ、外国船だと習慣の違いもある。ノルウェー船での2ヶ月の航海でジャガイモばかり出されているうちに、Mさんはジャガイモ恐怖症になってしまった。航海から1年以上たった今でも、ジャガイモが食べられない。

 じつはノルウェー人のコックは、それなりに気を遣ってくれたのだ。ときどきはコメを出してくれる。しかしノルウェー人にとってのコメは、主食でなく野菜なのだ。コメは炊かない。煮ただけで蒸していないコメをサラダに入れてくれる。パサパサの長粒米だ。

 これはYさんにとっては逆効果だった。航海の後半、Mさんはチキンライスの夢、それも出身の京都大学の前にあった学生向けの貧相な食堂のチキンライスにうなされるようになってしまったのである。


 船酔いに苦しんだ助手のNさんは、じつに思い切ったことをやってくれた。船で出してくれる食事がなにも喉を通らなくなったUさんは、人々が寝静まった深夜に船の冷蔵庫に忍び込んで、自分が食べられそうなものを盗み出すことを繰り返したのである。

 あったはずのトマトや果物やスモークサーモンやビスケットが減っていくのに、コックは驚いたことであろう。船の冷蔵庫や冷凍庫は巨大な部屋になっている。扉を中から開けるためには特別なノブを押さなければならない。N
さんが凍死しなかったことは幸いであった。

 海底地震計の開発して、世界各地の海で観測しているうちに、私の航海日数は850日を越えた。距離では地球を11周ほどしたことになる。

 南極に行って廃人になったという評判の科学者がいる。また、米国の宇宙飛行士には神の存在に目覚める人が多いとも聞く。さて、船に乗りすぎた海底地震学者はなにになるのだろう。

(イラストは『地震学がよくわかる---誰も知らない地球のドラマ』(島村英紀)のために、イラストレーターの奈和浩子さんに描いていただいたものを再録しました)

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