『青淵(せいえん)』(渋沢栄一記念財団)、2014年5月号。 28-30頁。

地球物理学者にとっての「一日の長さ」

 一日は二四時間。当たり前のことだと思うかもしれない。

 しかし地球物理学者である私はちがう。二四時間で一日がめぐってくるというのは、地球の歴史では、たまたま、今だけのことなのである。

 昔、地球が出来たときには今よりも地球の自転が速くて、一日の長さは五時間しかなかった。

 もし、いまも一日が五時間であったなら、五時間目にまた会社や学校へ行かなければならない。これでは、せわしなくてかなわない。

 地球の自転はしだいに遅くなっていっている。もし、私たちの時代が一日の長さが七二時間になっていたときだったとしたら、仕事や勉強で疲れ果て、他方、夜は退屈してしまうにちがいない。私たち人類は、ちょうど一日が二四時間という時代に生まれたことに感謝すべきなのだろう。

 地球の兄弟分の太陽系の惑星は、それぞれ自転の周期が違う。たとえば太陽にいちばん近い水星では五八日もある。水星での長い昼と長い夜は、じつは地球の未来図なのだ。

 地球が太陽のまわりを公転する一年の長さは一定なのに、地球の自転だけは遅くなる一方なのである。これは地球の自転にブレーキをかけている強大な力があるからだ。他方、公転にはブレーキをかけるものがほとんどない。

 自転のブレーキの多くは潮の満ち干による海水と海底の摩擦だ。また、地球の岩全体が太陽や月の引力に引かれて一日一五センチも上下する地球潮汐(ちょうせき)といわれる現象にも回転のエネルギーをとられる。地球の中心には巨大な溶けた鉄の球があるのだが、その液体とまわりの岩の摩擦もある。

 地球の自転が遅くなっていっている変化は二億年ごとに一時間ほど、つまり二〇年間に一万分の一秒ほどだ。だから、人々が感じることはない。知らない間に少しずつ遅くなっていっているのである。

 ところで近年、この一様な変化のほかに、もっと複雑な自転の「揺らぎ」があることがわかった。この変動は、千分の一秒単位で、地球の自転が遅くなっていくゆっくりした変化よりも一〇倍以上大きいものだ。

 この「揺らぎ」が分かったのは精密な原子時計が導入されてからのことだ。一九七二年から原子時計を暦に採用した。つまり、その段階で「年」とか「日」の長さを、それまでの太陽の観測から決めていたやりかたをやめて原子時計を使って定義することにしたのだ。ちなみにいちばん精度が高い原子時計は百億年に一秒の精度といわれている。

 こうして原子時計を使うようになってから、それまでは分からなかった実際の地球の自転の「揺らぎ」が予想外にたくさん変化していることが分かるようになった。

 一般には、地球の自転はゆっくりと遅くなっていっているのだが、この「揺らぎ」のせいで、ときにはそれまでよりも一時的には速くなることさえあったのである。

 原子時計を基準にして地球の動きや暦を固定したために、実際の地球の自転の変化があれば、それに合わせて地球上の時計を調整しなければならなくなった。

 「うるう秒」というのを知っているだろうか。原子時計で動いている地球上の時間と、地球の実際の動きがしだいにずれていく、そのずれを補正するために、ときどき、世界中の時刻を一秒ずらせることである。これは、ずれが一秒を超えないように、たとえばずれが〇・八秒になったときに行われるものだ。

 いちばん最近は二〇一二年七月一日の未明に行われた。前日の二三時五九分五九秒のあとに一秒をはさんで、次の〇時〇分を一秒、遅らせたのである。その前は三年半前の二〇〇九年一月一日だった。

 このように、うるう秒は七月一日や一月一日に行われる。一九七二年以来一九九九年までの二七年間のうるう秒は二二回あった。ほとんど毎年である。どれも、プラスのうるう秒、つまり一秒を追加するものだった。

 だが情勢は変わった。その一九九九年以後七年間もうるう秒を入れる必要がなかった。いや、その間、自転は四〇〇分の一秒だけ速くさえなっていたのである。現在までの半世紀近くの間ではマイナスのうるう秒は一回もなかったが、うるう秒を入れるまでには至らなくてもマイナス向きの変化はあったということだ。

 その七年の後、二〇〇六年と二〇〇九年、そして二〇一二年と、地球の自転はうるう秒を入れられるくらい遅くなった。毎年のようにうるう秒があった一九九九年以前よりはずっと間遠だが、一時の「不思議な状態」からは回復したように見える。

 さて、この「揺らぎ」はなんに原因するものだろう。

 この変動にはいろいろな周期があるが、そのうち年単位くらいまでの短い周期、つまりうるう秒を入れることには関係がない変化は気象に由来することが分かっている。

 地球の回転のバランスを乱す最大の理由は、じつは地球の空気である。冬の間、世界最大の大陸であるユーラシア大陸には雪が降り、大陸は冷やされて、大陸の上の空気は冷たくなる。空気は冷やされれば重くなる。

 つまり重いものが地球の一部に偏ってくっつくことになるのだ。軽い空気だが、巨大なものが冷やされるとこうなる。こうして地球の重さの分布が変わる。夏になれば、このアンバランスは消える。これが毎年、くり返されている。

 こうして地球の自転が変動する。地球が自転する軸も南極点や北極点のまわりを一年がかりでゆっくり動き回ることになる。北極と南極には地球の「自転軸」がある。もちろん、そこへ行ってみても丈夫そうな軸が立っているわけではない。自転軸は地球物理学の観測から計算されるものだ。

 この自転軸は直径約一〇メートルの円を描きながら、毎年変動している。厳密に言えば、一年後にはまったく同じところに帰ってくるのではなくて、少しずつ、ずれていっている。地球は宇宙に浮いている球だから、地球の上の重さのバランスが変われば地球が回る軸や自転の速度が変わるというわけなのだ。

 ところで「自転の揺らぎ」のうち、うるう秒に関係する年単位よりも長い変動の理由はわかっていない。

 大地震だろうか。たしかに大地震は地球の自転を変化させることは分かっている。たとえば二〇一一年の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)は自転を百万分の一・六秒だけ遅くした。二〇〇四年のスマトラ沖地震はその四倍だけ遅くした。

 しかし変化の大きさを見てほしい。こういった大地震での変化は千分の一秒単位の「揺らぎ」に比べるとずっと小さいのである。そのうえ、いままで世界的に大地震が多かった年に「揺らぎ」が大きいわけでもなかった。

 だが、もしかしたら、私たちが知らない地球深部でなにかが起きているのかもしれない。地球内部にある月ほどの大きさの溶けた鉄の球やそのすぐ近くで、観測にもかからず、それゆえ人類が知らない巨大でゆっくり動く地震が起きていて、その影響ではないかという学説もある。

 オゾンホール、地球温暖化…地球に何かがあると、人類のせいかも、と心配する悲しい習性が身についてしまった。まさか今度は人類という放蕩息子のせいではあるまい、と念じながらも、地球物理学者は首をひねっているのである。

 いずれにせよ、地球の自転ははるかに遠い将来には止まる。地球の自転がついに止まってしまったあとに人類が生きていれば、地球上の一日は一年になる。年に一度しか太陽は昇らず、一度しか沈まなくなるのである。

 もしそうだったら、私たちの社会や人生はどんなものになるのだろう。

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『青淵(せいえん)』いままでのエッセイ

14:世界一高い山『青淵』、2020年3月号。{3200字}。33-35頁。
13:
地球の中はダイヤがいっぱい 『青淵』、2019年2月号。{3200字}。29-31頁。
12:
世界の終末が遠のいた?『青淵』、2018年4月号。 25-27頁。
11:地球外に生命はいるのだろうか『青淵』、2017年3月号。{3200字}。28-30頁。
10:空は落ちてくるのだろうか『青淵』、2016年5月号。33-35頁。{3200字}
9:地球の丸さの世界初の測定『青淵』、2015年4月号。27-29頁。
7:日本の「地球物理学的な」歴史『青淵』、2012年3月号。27-29頁。{3200字}
6:南極の火事『青淵』、2012年5月号。16-18頁。{3200字}
5:人間の方向感覚、動物の方向感覚『青淵』、2011年4月号。 28-30頁。{3200字}
4:地震学者が大地震に遭ったとき---今村明恒の関東大震災当日の日記から『青淵』、2010年5月号。36-38頁。{3200字}
3:外から見た日本『青淵』、2009年6月号。19-21頁。{2500字+写真4枚}
2:アフリカの仮面の「眼」『青淵』、2007年12月号 (705号)。34-37頁。{3500字+写真6枚}
1:アフリカの仮面との出会い『青淵』、2005年5月号。12-14頁。{3200字+写真3枚}


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