島村英紀『長周新聞』2013年1月1日号。6面。(その記事は)

イタリアの地震予知裁判---他人事ではない日本の体質

 昨年の10月、下記の記事が出て、私たち地球物理学者のあいだでも、日本だけではなく各国で大きな話題になった。

「地震予知失敗で禁錮6年 伊地裁、学者ら7人実刑」(東京新聞2012年10月23日)

【ラクイラ共同】 多数の犠牲者が出た2009年のイタリア中部地震で、大地震の兆候がないと判断し被害拡大につながったとして、過失致死傷罪に問われた同国防災庁付属委員会メンバーの学者ら7人の判決公判が22日、最大被災地ラクイラの地裁で開かれ、同地裁は全員に求刑の禁錮4年を上回る禁錮6年の実刑判決を言い渡した。

 地震予知の失敗で刑事責任が争われる世界的にも異例の事件。同地震では309人が死亡、6万人以上が被災した。


 マグニチュード6.3の大地震は2009年4月6日午前3時半に起きたのだが、その前から、現地では不気味な小さい地震が続いていた。

 ラクイラはふだんから月に数回の地震があるイタリア国内でも地震活動が高いところだ。しかし大地震の前の半年間はいつも以上に地震が多く、3月には地震はさらに活発になり、マグニチュード4の地震も起きて人々を驚かせた。

 この群発地震のなか、3月上旬には、大地震が来るという独自の地震予知情報を出す学者も現れた。空気中のラドンという放射性元素の濃度からの予想である。

 活発な群発地震や大地震の予測を受けて、地元では情報が錯綜し、パニックになりかかっていた。

 マグニチュード四の地震の翌日、「国家市民保護局」は科学者も含む「大災害委員会」を招集した。だが委員会は、人心の不安を鎮めようという方針がすでに政府によって決まってから招集された。こうして委員会の結論として「大地震は来ない」という安全宣言が出された。政府が科学者に期待したのは科学者のお墨付きだけだったのである。委員のなかには「大地震が来るかどうか分からない」と言った科学者もいたが無視された。

 じつは、かつて日本でもほとんど同じことが起きた。政府機関である気象庁の体質が犠牲者を生んでしまったのである。

 鹿児島県桜島の南麓の海岸沿いにあって、噴煙を吐く桜島が覆い被さるようにそびえている東桜島小学校(左の写真=島村英紀撮影)。この校庭には大きな石碑が建っている。その碑文は気象庁(当時は中央気象台と言った。気象庁になったのは1956年)に対する恨みである。

 1913年に有感地震が頻発し、地面が鳴動し、海岸には熱湯が噴き出した。人々は桜島が噴火するのでは、と心配した。

 しかし、村長からの問い合わせを繰り返し受けた地元の気象台長(いまの鹿児島地方気象台。当時は鹿児島測候所だった)は、問い合わせのたびに、噴火するという十分なデータを気象台は持っていない、噴火はしない、と答えたのであ った。

 だが気象庁の「予測」に反して、桜島は大噴火を起こしてしまった(註1)。後ろは火山、前は海。逃げどころのなかった住民の多くが犠牲になった。8つの集落が全滅し、百数十人の死傷者を出す惨事になったのである。

 その石碑には「科学を信じてはいけない、危険を察したら自分の判断で逃げるべきだ」と記されている。気象庁にとって幸いなことに、この失敗はイタリアのように刑事事件にはならなかった。

 このように、科学的な事実を無視してまで人心を安定させたがるのはイタリアも日本も同じで、政府の根深い体質なのである。危ないか危なくないか、明確な根拠でもない限りは「危なくない」という体質だ。無用な混乱をできる限り避けたい、という日本の気象庁の伝統が裏目に出たのだった。

 過去のことだけではない。東海地震の地震予知の体制は「大震法」(大規模地震対策特別措置法)によって決められていて、気象庁にある判定会(地震防災対策観測強化地域判定会)が予知宣言を出し、それによって新幹線も東名道路も、地元のデパートやスーパーの営業も止めることになっている。

 私は、この地震予知が可能かどうか、強く疑っているが、東海地方の約30ヶ所に埋められた体積歪計のデータで地震予知がなされることになっている。阪神淡路大震災が起きたあとも、また東日本大震災が起きたあとも、政府の公式見解は「東海地震だけは予知できる」というものだからである。

 しかし、いったん「宣言」が出されてからすぐに東海地震が来なかったらどうするのか、その方針はまったく決まっていない。他方、宣言を取り消せる科学的な根拠や方程式はなにもない。そして新幹線や東名道路が止まり、静岡県などが孤立した状態は経済的にも人心にも打撃が大きく、それを何日も続けるわけにはいくまい

 こうして「判定会」の科学者の委員や気象庁の政府委員が、たとえ迷いながらでも、たとえ渋々でも、「安全宣言」を出す。しかしそのあとで東海地震が襲ってきたら、どうなるのか。イタリアとまったく同じことが起きるに違いないのである。


【追記】 註1)このときの桜島の噴火は日本の過去の火山噴火の中でも十指に入るほど大規模なもので、火山から噴出した火山灰や熔岩や火山弾の量は1億立方メートルを超えた。なお、このほか総噴出量が1億立方メートルを超えた大規模な噴火としては、1707年の富士山の宝永噴火(東北地方太平洋沖地震なみの巨大地震と考えられている宝永地震の49日あとに噴火した)や1783年の長野・浅間山の噴火などがある。


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