島村英紀『地震学がよくわかる---誰も知らない地球のドラマ』
3章(「地震予知の下克上」)の2節から

地震予知「先進国」トルコの凋落。落ちた偶像

 ノーベル賞は、いろいろな自然科学に与えられているが、いままで、地球物理学者がノーベル賞をもらったことは一度もない。

 これは、地球物理学が一流の学問とは思われていないせいであろう。まして、地震の予知などというものは、世界でも限られた国でしか関心のない「実用」の科学であって、なかなか純粋な科学にはなれない、というのが、私たち日本の地球物理学者の自嘲である。

 いや、自嘲であった、というべきであろう。というのは、純粋に科学的な研究のために、1980年代の半ばから、「非」地震国、ドイツが驚くほど熱心に、地震予知に取り組みはじめたからである。ドイツにとって地震予知は実用の役には立ちそうもない。しかし、人類のための科学として、未知への挑戦を突然始めたのであった。

 そして、ドイツの多くの大学や研究所が共同してトルコの地震予知の研究に乗り出した。この計画には、トルコ側でもいくつかの研究機関が参加した。トルコは世界有数の地震国で、過去に地震を起こした地震断層の一部が、たまたま地表に出ていて、ドイツの地震学者にとってはかっこうの研究材料であった。

 そのやり方はドイツらしく徹底したもので、およそ、地震予知のための観測として役立ちそうなものすべてを、断層のまわりに集中して調べあげようとするものだった。

 なぜ、トルコが選ばれたのだろう。

 トルコ北部には、東西に走る北アナトリア断層という長さが1000キロもある大断層がある。世界でも特異なところである。この断層に沿って日本でいえば東京ー旭川間もの距離を、東から西へ、順々に大地震が起きたのである。

 最初は、1939年にこの断層の東の端に近いところでマグニチュード7.8の地震が起きた。阪神・淡路大震災よりもずっと大きな直下型の地震だったから、もちろん、大変な被害を生んだ。その後、1942, 1943, 1944年と5年の間に次々と西へ場所を移しながら、マグニチュード七クラスの大地震が続いたのである。

 この5年でいったん収まったかに見えたのだが、その後1950年代になって、1944年の地震のすぐ西方で1957年、さらにそのすぐ西で1967年とマグニチュード7クラスの地震が起きた。つまり1967年までの約30年間の間にマグニチュード7から8の大地震が西に移動しながら次々に起きていったのである。

 それゆえ、最後の大地震のさらに西、つまり北アナトリア断層のいちばん西の端は、もしかしたら、次の大地震が起きるかも知れないというので、各国の地震学者の注目を集めていた。

 西端に起きた1967年の大地震のすぐ東隣ではその10年前、さらに東隣ではそのさらに13年前にそれぞれ大地震が起きていたから、もし起きるとしたら次の地震は70年代か、遅くとも80年代だという予想があった。

 科学は、その最前線で闘っている学者にとっては「競争」でもある。1980年代になってからドイツだけではなく、英国、そして遅ればせながら日本の地震学者も参入した。つまりトルコは一躍、世界の地震予知研究のテストフィールドとして脚光を浴びることになったのであった。

 しかし1980年代はなにごともなく過ぎてしまった。このため英国は1990年代の始めに研究費が尽きた。観測から撤退してしまったのだ。

 北アナトリア断層は一本の帯としてトルコを横断しているが、この西端だけは、断層は南北に枝分かれしている。

 どちらに地震が起きるかは予想出来なかった。これは賭けであった。ドイツが先に断層の北の枝に展開し、かなり遅れて南の枝に日本は観測網を敷いた。

 そして1999年8月、この断層の西端を大地震が襲った。公式発表でも一万五千人もの死者を出した。日本でも連日の大ニュースになったから、憶えている人も多いだろう。

 大地震が起きたのはドイツの観測網のすぐ近くだった。

 地球科学に限らず、研究や発明は研究費の多少だけではなく、ちょっとした選択の違いにも左右される。運、不運といってもよい。南の枝と北の枝ははっきりと明と暗とを分けたのであった。

 地震の直後に欧州での学会で私に会ったドイツの観測の責任者Z先生は「勝った。これで16年も待った甲斐があった」と言った。一般の人には不謹慎に聞こえるに違いない。しかしこれは、結果を予測して現象が起きるのを待っていた自然科学者としての率直な感想なのだろう。物理学や天文学ならば、同じことを言っても天下に恥じることはない。

 そしてほかの科学ならば幸運を喜ぶべき場面でも、素直に喜んではいけないのが地震や火山や台風など、災害に関係する科学者のつらいところなのである。

 ところが、その後、事態は一挙に暗転した。

 ドイツはそれまでに地震、地殻変動、地球電磁気、地球水の化学成分など、考えられるあらゆる観測をドイツ流の完璧さで展開していた。それは、いままでに世界各地で各国の地球物理学者が地震の前兆を捕まえたという報告があった観測のほとんどすべてであった。

 しかし、そのどの観測器にも前兆は記録されていなかったのだ。日本の観測網も同じだった。

 以後、ドイツのZ先生と日本の観測の責任者であるH先生のトルコでの評判は地に墜ちた。トルコを地震から救ってくれる救世主かと見えたのに、二人ともなんの警告も出してくれず、午前3時という人々が寝静まっていた最悪の時刻に、大地震が人々を襲ったからであった。

 Z先生はドイツでも針の筵(むしろ)に座っている。研究費は打ち切られ、学者としての将来も疑われるという。

 数学者や天文学者だったら、こんなことにはなるまい。地球科学者ゆえの悲劇というべきであろう。

【イラストは奈和浩子さんが『日本人が知りたい地震の疑問66----地震が多い日本だからこそ、知識の備えも忘れずに!』のために描いてくださったものです。】


【島村英紀がトルコでやった海底地震観測関連のエッセイ】
トルコでの海底地震観測島村英紀が撮った写真
地震は人を殺さない:地球物理学者は、なにを見て嘆くのだろう
「外交」が左右する研究:地球物理学者は、どんなときにもみくちゃにされてしまうのだろう
心臓に悪い研究とは地球物理学者は何に安堵するのだろう


【追記】 H先生は日本では失脚することはなく、2012年に日本政府の地震調査委員会の委員長になりました。

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