島村英紀「詩人と科学者」
『新・原詩人』 2009年10月号 (No.26)から


 私の職業である科学者は、日本人の場合、300人に一人ほどいる職業だといわれている。サラリーマンや商業従事者に比べれば圧倒的に少ない人数の職業である。

 詩人について職業統計があるかどうかは寡聞にして知らない(その後に調べた結果は、下の【追記】参照)。しかし、それで生計が立てられるほど実入りがあるかどうかは別にして、詩を書いて認められている人、認められてはいなくても、それは自分のせいではなく評価できない世間の鑑賞眼がないと思っている人、世の中が自分のことを分かるわけがそもそもないと思っている人、認められても認められなくても魂の叫びを書いて訴えたい人をあわせれば科学者よりは多いのではないか。しかし、はるかに多いことはあるまい。所詮、科学者も詩人も、世間では少数派なのである。
 
 ところで科学者と詩人はまったく似ていない職業のように思われているが、そんなことはない。じつは、いろいろな共通点がある。

 まず、世の中にわずらわされずに自分だけが思うように振る舞える世界に閉じこもれることだ。そこで過ごす時間は密度が濃くて長い。このため、しばしば、世間知らずという評価を受ける。しかし卑下することはない、これは、雑事に煩わされずにいままでにない新しいものを創造するための必要な要件なのである。

 そのほかの共通点としては、仕事の結果を理解してくれる人がごく限られていることもある。万人に理解されて愛される程度のものはそもそも存在価値がない。しかしあいにくと、理解できる数少ない人たちは、安心して評価を委ねられる味方ではなくて、ときとしてライバルだったり敵だったりする。

 さらに、仕事の結果に自分でも満足できないことも共通点だ。もっといいものができるのではないか、もっと新しいものが創造できるのではないか、この程度で世に出していいのだろうかと、最後まで悩み続けるのである。

 そのほか、自分がやっていることが世界にどのくらい役に立つかが分からないまま仕事をしている、ということも共通点だろう。

 そもそも、詩がなんの役に立つかわからないという一般人も多いかも知れない。しかし詩は人々の心を和ませたりするほか、ときには生きる力を与えたり、現実を忘れさせて虚空に飛翔させたり、詩によっては時代を変革する勇気を鼓舞したりもするのである。29歳で獄死した鶴彬は、詩ではないが川柳を武器にして体制と闘った。

 しかし、ほとんどの場合、詩人は、こんな役に立ちたいと思って詩を作るのではなかろう。一方、科学者のほうでも、政府や財界の意を受けた御用学者は別にして、一般の科学者は、自分のやっていることが何の役に立つか、まったくわからないまま研究を続けているのである。

 クラゲがなぜ緑色に光るかという、なんの役に立ちそうもない研究をしてから何十年もたってから、突然、ノーベル賞の脚光を浴びて当人が戸惑うというのは、科学者にとってはそれほど珍しい例ではない。

 他方、大それた目的もなく研究していたことが、後日、大量殺傷兵器に使われることもじつは多い。ノーベルが発明したダイナマイトも、核兵器も、生物化学兵器も、その例は数えきれない。

 また、農薬や化学肥料のように、よかれと思って研究したはずのものが、あとの時代に非難の礫を浴びることもある。宮沢賢治が描いたグスコーブドリは、身を挺して火山を噴火させて二酸化炭素を増やしたり、新しい肥料を工夫して冷害や飢饉を救った。科学が世界を無条件に救える、まだ幸せな時代の農学者、科学者の時代であった。

 だが、時代は変わった。科学者の成果は為政者によって都合のいいようにつまみ食いされ、利用されている。たとえば二酸化炭素だけを悪者にすることによって、見せかけのエコと原子力発電が国策として推進されている。

 ところで、科学者も詩人も、創造の最前線に立って闘っているときには誰も助けてはくれない。自分の前に道はなく、自分のあとには自らつけた足跡だけが残る。

 しかし行く先の遠さが分からないまま、いつ行き倒れてしまって、足跡も、そして自分も降りしきる雪に埋もれて、すべてが消えてしまうかも知れないのである。

 そう、最後の共通点は、詩人も科学者も、ともに「孤独な戦士」だということなのだ。


【追記】

  その後、 日本文藝家協会に2009年10月段階の全会員2552名について調べてもらったところ、入会申込書に本人が書き込んだ「職業別内訳」は、右図のようになっていた。

 これで見ると、詩人の数(323人)は、俳人(254人)よりも多く、歌人(179人)の倍近くで、川柳作家(8人)よりもずっと多い。しかし、俳人と歌人を併せると、詩人の数をしのぐ。

 じつは、これを文藝家協会に調べて貰うように私が依頼してから、一ヶ月ほど返答が遅れた(このために、『原詩人』の原稿には間に合わなかった)。もしかしたら、この間、協会は、初めての統計のために、大変な時間をかけて数えていてくれたのかも知れない。

【追記2】

 とても好意的に取り上げてくださったサイト(323人のうちのおひとりのサイト)がありました。

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