安保の激動の中で------「叫ばぬ」東大新聞
私(島村英紀)と東大新聞

『東大は主張する 2007-08―東京大学新聞年鑑 (2007)』(シーズ・プランニング。東大新聞社編纂。2008年9月発行)

 私は大学の卒業後、科学者として生きることになった。しかし、その「基本」は、じつは東大新聞で学んだものではないか、と思うことがある。科学者には冷静さも客観性も必要とされる。東大新聞は、意外と思われるかもしれないが、それを教えてくれたのであった。

 私が東大に入学したのが1960年、安保闘争の激動期だった。かろうじて「安中派」の最後、ということになる。入学後間もなく、私は東大新聞に入った。

 入学直後の5月に衆議院で新安保条約案が強行採決され、国会議事堂の周囲を多数のデモ隊が連日、取り囲んでいた。各派の全学連をはじめ、当時の社会党、共産党、総評も組織を挙げての反対デモを動員していた。

 そして6月15日夜。警官隊が国会議事堂正門付近でデモ隊とそれまでになく激しく衝突し、デモに参加していた東大文学部の学生だった樺美智子さんが圧死するという事件が起きた。安保のデモで死者が出たのは、これが初めてで、日本中に大きな衝撃を与えた。

 しかし、それまではデモをデカデカと報道し、ある意味ではデモをあおっていたマスコミ各社は、この日を境に、掌を返すように豹変した。各社が「議会政治を守れ」とした社告(7社共同宣言)を足並みを揃えて掲載し、一転、学生運動など国会デモ隊の暴力や最大野党だった社会党の国会ボイコットを批判した。そして、新安保条約は19日、参議院の議決なしに自然成立したのであった。

 学生運動が各派に分かれて争い、他方、マスコミから「二階に上がって梯子を外されてしまった」学生たちは、行動のエネルギーに溢れ、言いたいことがいっぱいあった。たとえ安保闘争は終わってしまっても、倒閣運動、反米運動、あわよくば革命を目指したい、という学生が多く残っていたのは、それまでの運動の昂揚から見て不思議ではなかった。

 さて、ここに当時の東大新聞の大方針があった。それは「自ら叫ばない」というものだった。しかしこの方針は、編集会議で議論の末に決めた、というようなことではなかった。それは暗黙の了解で、いわば阿吽(あうん)の呼吸ともいうべきものだった。

 他のすべての大学新聞は、「自ら叫んで」いた。それぞれ学生運動各派の宣伝紙になって、かたくなに自分たちの考えだけを訴えていた。京大、東工大、北大、どの新聞も、派閥こそちがえ、内容はアジビラであった。

 東大新聞を作っていた私たちにも、主張したいことは山ほどあった。しかし、それを抑えて、人々の寄稿に思いを託すことや、マスコミは書かない、そして学生の目からしか見えない記事を載せることでこそ、人々に読まれ、人々を動かすことができると信じていた。変革の意志に燃えながら、それでも対象からあえて距離を置いていたのだった。

 当時、私がお会いして原稿を依頼したり、取材させてもらった人たちには、中根千枝、進藤純孝、小林直樹、坂本義和、針生一郎、稲葉三千男、日高六郎、荒瀬豊、高木教典、星野芳郎、久野収の各氏らがいる。これらの方々は、いわゆる商業誌には書けないことも、書いたり、話したりしてくださった。それぞれのお宅などで、遅くまで話し込んだことも多かった。忘れえぬ取材、忘れえぬ人たちである。

 私たちの当時の方針が正しかったかどうかの評価は人によるだろう。しかし、私たちの時代の東大新聞は発行部数が約一万部もあって、他の学生新聞の倍以上だった。また北川重彦氏が別項で書いているように、樺さんの号外は五万部を刷った。この号外を東京の各駅頭で私たちが配ったときには、カンパで百円札が驚くほど集まった。当時の東大新聞の通常号の売価は十円だったから、多くの人が多額のカンパをしてくれたのであった。

 そのほか、1962年には、私たちが他大学の新聞会によびかけて各大学の学生を対象に憲法意識調査を行った。東大生は2000名(学生の5分の1の無作為抽出)、24大学で11000余名を対象にした大規模なものだった。

 これは自民党の憲法調査会が、安保の勢いを駆って憲法を変えようとする動きを見せていたり、4月には第二次防衛力整備計画が始まって、日本の再軍備に一層の拍車がかかっていた時期を危惧して計画されたものだった。

 意識調査の集計や分析は紙面に載せたほか、7月に発行した『憲法の記録』という32頁の別冊特別号に載せた。東大生の調査の結果は、憲法改正反対が9割、天皇制廃止が6割もあった。

 支持政党は自民党5%、民社党8%、社会党45%、共産党3%、支持政党なしが32%と、社会党が無党派よりも多かった。全学連を「極左冒険主義のトロツキスト集団」として、激しく攻撃していた共産党の支持低下が目立った。

 「意識だけは進んでいるが自分の手を汚さない」学生が多い、と私が書いたコラムが、調査の結果を総括した紙面に載っている。

 結局、東大新聞入社以来二年半たって、中尾庸蔵氏が書いている「いろり荘事件」で私は東大新聞をやめたわけだが、その後1963年から、私は理学部の学生でありながら東大・新聞研究所の研究生をしていた。また、学生相手の総合雑誌も作り始めていた。よくも東大を卒業できたものと思う。

 このように、私の新入生の時代には大学が騒然としていて、勉強どころではなかった。しかし、激動の時代にあっても、時代を客観的に見る姿勢や、ものの見方を身につけたことは、その後の私の人生に役立った。人生なにごとも塞翁が馬なのである。


『東京大学新聞』1962年7月4日号4頁のコラム『編集室』
(通常は池田信一編集長が書いていたが、この号は島村英紀が執筆)
(通常号である、この7月4日号は4頁のうち3頁を、この学生の憲法調査の結果にあてていました。)

●マスコミでしばしば「一般」学生といった言葉が目立つ。その「一般」とは政治意識のとくに低いものを、故意に選んだ「一般」学生である。
●ところで「一般」学生というものが、真の意味でなんであるかを知らなければならない時がある。”現在”がそうなのだろう。
●たとえば、この調査で、40番に見られるように、憲法改正の学生運動に対して、積極参加20%、学業に妨げない程度39%、合わせても6割を割っている。一方で、こんな調査で問われれば、改憲反対と9割が答える状況----また一方では、4割り以上が、運動に参加したくないという状況----この断層の意味するものを、私たちは深く考えなければなるまい。
●共通の”コトバ”を失い、はたまた、運動の目標さえ、セクトの中に埋没して、自らの崩壊に拍車をかけている”現在”の状況は、まさに、その断層と一体のものなのではないか。
●「9割」と「6割」の断層は、すべての学生の中にある。決して「無視しうる」学生のなかにだけひそむものではあるまい。その断層を直視することこそが、いま求められていることなのではないだろうか。(紀)

追記:40年後の「著者」がこの文章を読み返してみると、なんとも気負った、青臭い青年の文章である。また、限られた字数の中で言いたいことを表現しなければならないとはいえ、「」や””が多すぎる。仲間内だけでしかわからない表現、といわれてもしょうがないだろう。


『東京大学新聞』のための、島村英紀が書いた原稿(小田実氏の本の書評と思われるが、いまとなっては、何の本の書評だったのか、いつ、新聞に出たのかは不明である。見られるように、東大新聞は、自前の原稿用紙を持っていた。20字の20行、これを「ぺら」と言った。


追記:岩波書店の雑誌『世界』1964年6月号(222号)の「特集 憲法問題の核心」

 この130頁に及ぶ特集のなかに、「誌上憲法公聴会・学生から見た憲法問題-----日本の平和と防衛」(55-79頁)があり、司会は小林直樹(東大教授・憲法)と潮見俊隆(東大教授・法社会学)、参考人は野田卯一、佐伯喜一、稲葉誠一、田畑茂三郎、大江健三郎、出席学生は私のほか、お茶の水女子大、早稲田、慶応などから15名だった。

 この「誌上公聴会」の最後に潮見氏が「学生の憲法意識---公聴会を終えて」を書いており、その中で、この東大新聞主催の学生の憲法意識調査の結果をかなりくわしく紹介してくれている。


【以下は、『東大は主張する。その2』の最初の原稿にあった背景説明。他の人の原稿との重複を避けるために削ったもの】

 しかし、既成の政党に飽きたらない学生たちは、共産主義者同盟(ブント)など、全日本学生自治会総連合(全学連)の各派に別れて、独自の運動を拡大していっていた。これに対し、共産党は全学連を「極左冒険主義のトロツキスト集団」として、激しく攻撃していた。

 各大学は、ブントが優勢だったものの各派が競合していた東大以外は、各派が別々の大学を押さえる形になっており、たとえば東工大・金沢大が革共同、日本大・明治大がブントなどに色分けされていた。なお、教育大・お茶の水女子大・東京外語大は民青系(共産党系)であった。

 6月10日には、米国大統領の訪日を協議するために来日した大統領報道官ジェームズ・ハガチーが空港近くで学生らのデモ隊に包囲され、アメリカ海兵隊のヘリコプターで救出されるという事件が発生して、大統領の訪日は取りやめになった。学生運動にとっては、誇らしい勝利であった。


第二次世界大戦中の東大新聞が出していた出版物は戦争協力のものでした。
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